日本で一番多いとされる「八幡神社」と、発明王エジソンの意外な関係

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社殿の特徴は?

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まず社殿を見て目につくのは唐破風の屋根が前に張り出した正面の楼門です。朱塗りにきらびやかな金具が映えます。

楼門からは東西に回廊が広がっていて、その先はコの字型になっています。朱塗りの柱のつながりが神の住まいの神々しさを引き立てています。回廊は刀などが振り回せないように狭い造りになっています。

皇族や武士の参拝が多いことへの職人の心配りが感じられます。そして、本社のいたるところに再建当時の名工の極色彫刻が施されています。

本社は10棟の建物からなり、今回その全てが国宝に指定される予定です。10棟の建物が一度に国宝になることなどまずあり得ないので、いかに価値が高いものかが伺われます。八幡造の社殿としては最も古く、最も大きいのが最大の特徴です。

この社殿は、都に近く朝廷や貴族、庶民にも及んだ八幡信仰の象徴であり続けました。そして、八幡造の特徴は宇佐にも見られる特徴なのですが、建物を前後に並べる独特な社殿配置にあります。

古代王朝時代に遡る神社建築の形式を基本にしながら、欄間に極彩色の装飾や彫刻が施されています。もちろん、装飾技術は近世のものです。

王朝時代の特徴を継承しながら近世的な建築技法を駆使して一体となって一つの社殿の形式を作り上げているのです。古いものと新しいものの融合を継承してきたことが、まさに国宝としての歴史的価値の重みなわけです。

この本社の社殿のほとんどは江戸幕府3代将軍徳川家光が再建したものです。江戸時代最も栄えた時代、寛永年間です。

社殿の顔でもある楼門の正面の蟇股(かえるまた)にはハトが向き合っています。よく見ると、片方のハトは口を開けています。狛犬と同様に阿吽(あうん)の呼吸で八幡様を護っているのです。

蟇股の裏側には巴の御神文と社殿を修復した徳川家の三つ葉葵の御紋があしらわれています。これはさすがに正面から見える場所ではないのであまり知られていません。この場所は表からはかくれている場所ですが、神様からは一番良く見える場所なのです。

蟇股の上には極彩色の龍虎の彫刻が施されています。これは家康の干支が虎で、家康を崇拝していた孫・家光の生まれ年が辰だったことに由来しています。境内の各所には橘が植えられています。橘は巴と共に石清水八幡宮の御神文で社殿の至る所に観られます。

本殿内部に、巴の紋が一つだけ他と違って流れる方向が逆になっています。これはわざと未完成にしてこれからもさらに発展するようにと願ったものだそうです。

確か、日光東照宮でも建物の一か所の柱をわざと逆さにして造営しているのも同じ理由だったと思います。創建されている時代が全く同じころなので納得出来ますね。(石清水八幡宮の方は創建といっても再建ですが。)

本殿を囲む水垣にも彫刻の題材としては珍しい動物や植物などの華麗な彫刻が施されています。これらすべては、この時代の名工の作と伝わります。江戸時代、寛永年間で有名な名工と言えば、まずこの人を置いて他にはいないでしょう。知恩院の「忘れ傘」日光東照宮の「見ざる言わざる聞かざる」などで有名な左甚五郎です。

ちなみに、祇園祭の山鉾で唯一人間以外をご神体として祀っている鯉山(こいやま)のご神体の大きな木彫りの鯉も左甚五郎作です。

そして、ご神体ではありませんが、八幡山という山の鳥居と共に巡行する木彫りの鳩も左甚五郎作のものです。祇園祭はあらゆる時代の沢山の歴史上の人物が随所で関わっているのが最大の魅力でもあるんですよね。

またまた、話が脱線してしまいました。汗

さて、社殿の一部は家光が修造した以前の建造物が一部残っています。朱塗りの本殿の内殿と下殿の間に黄金の雨どいが突き出ています。これは、織田信長が寄進したものと伝わっています。

まさにこの場所ほど、皇室、貴族はもちろん、多くの武将や将軍家、庶民からの崇拝を受けたところはありません。存在全てが文化財の宝庫で、国宝になるのにふさわしい条件を備えていると言えるでしょう。

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