有料メルマガ「あるきすと平田のそれでも終わらない徒歩旅行~地球歩きっぱなし20年~」の著者で、富山名物「入善ジャンボ西瓜」の収穫作業を終えたばかりのあるきすと平田さん。お盆休みに三重県の伊勢神宮を尋ねました。伊勢の有名老舗店の牛丼の味と色合いに圧倒されたようです。
伊勢神宮で参拝したあとに食した老舗店の「牛丼」が忘れられない!
お盆が終わりましたね。 みなさんはどう過ごされましたか?帰省に墓参り、国内・海外旅行、海水浴に山登り、ナイトプールやテーマパークめぐり。 暦どおりの出勤日という方々も多かったようですね。
墓参やお寺での盂蘭盆会参加、高校の同窓会や帰省した同級生たちとの飲み会などお盆の恒例行事を早々に済ませ、降って湧いたお盆休暇の8月14~16日の2泊3日で友人親子とクルマで伊勢参りに行ってきました。
実は40年以上前、たった一度だけ伊勢神宮に詣でた記憶がかすかにあります。 当時名古屋在住だった叔父一家と電車で行ったことも覚えています。 たしか海か大きな池のそばの玉砂利の参道を歩いたような。
しきたりに則ってまずは外宮(げくう)から。 外宮の主祭神は女神の豊受大神(とようけのおおみかみ)。
衣食住やあらゆる産業の守り神である豊受大神を祀る外宮は商売人に人気があるとのことですが、僕たちが到着したのが午前9時過ぎと早い時刻だったせいか、広い境内は閑散としていました。
自分の記憶の中の伊勢神宮詣でのシーンを思い浮かべつつ歩いたものの、まったく重なる場所がありません。 あのときは外宮を素通りして内宮だけ参拝したのでしょうか。
外宮と内宮(ないくう)は5キロほど離れているのでクルマで移動し、内宮近辺にちらばる駐車場があちこちで満車を告げだしたころ、内宮鳥居前町のおはらい町にほど近い駐車場を無事に確保し、ぶらぶら歩いておはらい町とおかげ横丁へ。
五十鈴川に沿って延々800メートルも続く石畳の通りの両側には切妻・入り母屋造りのレトロな家屋が軒を連ねるおはらい町や伊勢志摩の江戸・明治時代の建築物を移築した建物がひしめくおかげ横丁も、まだ10時過ぎだというのに多くの観光客や参拝客で賑わっていました。
いわゆる門前町で、ここには赤福はじめ伊勢志摩のあらゆる名産名物がそろっています。
まずはブランチ。 明治42年(1909年)創業の老舗伊勢牛料理店「豚捨(ぶたすて)おかげ横丁店」に入店しました。
前夜は豚肉で失敗したので伊勢牛でリベンジです。 それにしても豚捨とは変わった屋号です。
なんでも豚を飼って食肉店を始めた創業者の名前が捨吉(すてきち)で、「豚肉の捨吉」から屋号となったそうですが、一説には豚肉と一緒に売られていた牛肉のほうが豚肉より圧倒的に美味くて豚肉を捨ててしまったから「豚捨」になったとか。創業から1世紀も経過するといろんな伝説が付与されるものです。
趣ある木造家屋の2階へ案内されると、よく効いた冷房が蒸し暑い中を徘徊して火照ったからだを心地よく冷やしてくれます。
豚捨の人気メニューは伊勢牛の牛丼。
それにしても牛丼といえばチェーン店のそれしか浮かばない貧相な頭の持ち主であるわれわれ3人は、丼の蓋を取って中身と対面した瞬間が忘れられません。
「これって牛丼? すき焼き丼じゃないの?」
それもそのはず、肉が、濃厚に煮詰めたような飴色をしています。 そして湯気とともに鼻孔を優しくくすぐる甘じょっぱい匂いがほんわかと漂ってきました。
その色合いと匂いに圧倒され、いよいよひと口、口にふくんだとたん、
「美味しい!」
3人が異口同音に発していました。
僕が見たふたりの顔はパッと花が咲いたように輝いています。 もうこれ、未体験ゾーンの牛丼の味です。 ちなみにお値段は赤だし付きで1000円。 でも決して高く感じません。
「恐るべし、豚捨の牛丼!」であります。
なんだか、四日市の敵を伊勢で討った気分でした。全員、ペロリと完食!
大盛りにすればよかったと後悔しきりでした。
- image by:あるきすと平田
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