京都にもあった!明治時代の大動脈に造られた石造アーチ橋「王子橋」

王子橋を眺める

それでは橋をじっくり見ていきましょう。その前に少しだけアーチ橋の構造の説明を。石造のアーチ橋は図のように、大まかにはアーチを支える輪石(わいし)、壁石(かべいし)、アーチの頂上部分で組み合わせる輪石の要石(かなめいし)などで構成されています。

「この橋で面白いのが輪石の形です」と丹羽さん。「通常、輪石は大きな石を合わせてアーチを作るのですが、この輪石は小さな石を4つ組み合わせて造られているんです」。

よく見ると、その小さな石を組み合わせて盾のような形に整えてあり、そこから壁石と面で上手く繋がっていますね。

「土木学会選奨土木遺産」認定書と認定のプレート

土木学会選奨土木遺産認定証には“輪石と壁石が夫婦天端で一体化した非常に珍しい構造形式”と書いてありましたが、夫婦天端(みょうとてんば)とは、『関西の公共事業・土木遺産探訪 第3集』によると2つの石を使って盾状の五角形にする手法のことだそうです。

そして「目地がピタッとくっついていますね。非常に高度な技術です」と丹羽さん。確かに明治時代に建てられた銀行やビルのよう。『亀岡市史』によると地元の大工 山名乙次郎氏が携わったとされています。

「材料である花崗岩も地元で採られたようですね」。なるほど、地元で採れた石材を使えばコストが随分削減できますもんね。色が異なる石が配されていて、モザイクみたいでキレイだなあ。

「それに、下を流れる川からかなり高さがあるので、橋脚を設けず一跨ぎで、石造アーチ橋としてはアーチのスパン(支間長)が大きく、アーチの形状も円よりもずいぶん偏平ですね。これは職人さん達の気概を感じます!」。なるほど。そういうところも見るときのポイントになるんですね。

王子橋はその後、道路の改築に伴い昭和8(1933)年、1mの嵩上げと左右50cmずつ幅が張出し拡幅され、コンクリートを用いた欄干部ができ、親柱に照明設備が供えられました。

現在、照明は取り除かれていますが親柱は残っています。

初代の親橋は橋のすぐ近くに作られた綺麗な花壇に置かれていました。ここに立てられたプレートを読むと、この親柱は王子神社で王子区民により大切に保存されていたのだそうです。今も橋周辺は地元の人々の手で美化されていますし、この石橋は今も昔も地区の人々の誇りなのですね。

王子橋は昭和44(1969)年まで使われていましたが、国道9号の改築により、隣に新たな橋が架けられたため、今は歩行者用として使われています。


少し足を延ばして

このまま老ノ坂を京都市方面に進むと京都宮津間車道の時に作られた老ノ坂トンネルが現れます。このトンネルは明治14(1881)年から開削工事が始まり、翌年中に完成しました。

京都側の入口には北垣国道知事の揮毫による「松風洞」という銘板が架けられました(現在は下に置かれています)。

王子橋の横、京都縦貫自動車道に架けられたコンクリートのアーチ橋

さて明治17年に造られた王子橋は、まさに京都の新時代を担う道路整備の一環として架けられました。京都縦貫自動車道が全線開通した時も素晴らしいと思いましたが、それよりもっと前、明治時代に京都の南北が鉄道より早く道路で結ばれ、流通や人の行き来が盛んになったのですね。今度、この辺りを通る時は、ぜひ注目してみてください!

■■INFORMATION■■

王子橋
住所:京都府亀岡市篠町王子

  • source:KYOTO SIDE
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