京都にある首途八幡宮(かどで はちまんぐう)をご存知でしょうか。かつて、源義経がここで奥州への首途(かどで=出発)を祈願したという歴史深い神社で、現在では「旅行安全の神社」としても名高い場所だそうです。
ここを取材で訪れたライターの御田けいこさんは、進むべき道で悩んでいましたが、神社を訪れたあと、周囲の状況が変わり環境がガラッと変わったそうです。隠れパワースポットとしてご利益が期待できるかも?
進むべき道に迷ったら、京都の首途八幡宮へ
京都・西陣エリアにある首途八幡宮を知ったのは、陰陽師の安倍晴明ゆかりの「清明神社」に参拝した後でした。
晴明神社のある堀川通を北へ(地元の言葉だと「上ル」)行くと、今出川通りの交差路へ。地図を見ると、その近くに「首途八幡宮」という、ほとんど聞いたことのない名前の神社を発見。
なんだか気になる〜。
今思うと、その当時、私は進むべき道について悩んでいたので、首途(かどで)=出発(たびだち) というワードに反応してしまったのかもしれません。
人との出会いもそうですが、神社仏閣に参拝することもご縁のもの。というわけで、アタマで考えず直感にしたがってみることにして、訪れてみました。
今出川と堀川の交差路から左に2ブロック目。そこを右に曲がると、ひっそりとそびえる鳥居を発見。晴明神社からは徒歩15分ぐらいでしょうか。隣りは桜井公園で、子供のたちの遊び声が絶え間なく湧いているのにくらべ、ここはとても静か。
「知る人ぞ知る神社なのかもね~」と境内に進むと、「源義経奥州首途之地」碑が目に飛び込み、そして神社の由来を読んで驚きました。
なんと…多くのファンもいる歴史ヒーローにして、モンゴルに渡って「ジンギスハン」になったとも言われる人物、源義経が「牛若丸」と名乗っていた頃、ここから奥州平泉に旅立ったそうです。
かつてお社のあった場所には、奥州の商人であった金売吉次(かねうりきちじ)の屋敷があり、彼の手引によって、牛若丸がここから奥州へ旅だったとか。
源平の戦いで源氏が敗れたことで鞍馬寺に預けられていた牛若丸はこのお社で旅の安全祈願を行い、源氏復興のため奥州へと向かったそうです。
という由縁から、義経がここで奥州への首途(出発)を祈願したことから、「首途八幡宮」といわれるようになりました。
こちらの神社の参道は京都の町家がそうであるように、「うなぎの寝床」っぽいのが特徴。つまり、幅が狭く、奥行きがあるのです。
昔は「内野八幡宮」(うちのはちまんぐう)と名前だったこともある、この神社の本殿は築山のような小さな丘の上に建ち、石段を上がってお参りします。
ご祭神は誉田別尊(ほんだわけのみこと、応神天皇)、比咩大神(ひめおおかみ)、息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと、神功皇后)。
社務所で販売されている御守に「鳩」をモチーフにしているものが多くありますが、この鳩は八幡宮では神の遣いとされるもの。
ならば「首途の鳩(かどでのはと)」という和菓子を作るのはどうだろ~。カタチは鳩で、そばぼうろの「丸太町かわみち屋」さんとコラボして…などと、頼まれてもいないのに、オリジナル土産の企画をねってしまう私…。ああ、妄想族!
さて、参拝後には隣の桜井公園を散歩するのもおすすめです。
とくに春を迎えると、桃や桜、フジなど、ここはお花の美しい公園として知られていて、ピクニックも楽しめます。
首途八幡宮がある場所には、牛若丸の奥州への旅を手引きした金売吉次の屋敷の前に、貞純親王(桃園親王)の邸宅が建造されていて、当時は桃の木がたくさん植えられていたようです。
この地は土地の記憶によって、美しい花々が咲き誇るよう導かれているのかもしれません。
旅行の安全や進むべき道に迷っている人は、参拝に訪れてはいかがでしょうか。ちなみに参拝に訪れた私は半年もしない間に周囲の状況が変わり、環境に変化がありましたよ。
- image by:御田けいこ
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