滋賀県の琵琶湖畔の近くには、近江商人のふるさである『五個荘』という町があります。その町で食べた忘れないほどの美味しい湖魚料理があるというのです。
紀行作家・郷土料理写真家の飯塚玲児さんが、今回この近江商人の故郷で食べた鮒料理を紹介しています。飯塚さん曰く、旨すぎて言葉がでない代物だそうです。
近江商人の故郷で食べた“鮒の子つき”(滋賀県東近江市・長浜市)
琵琶湖畔に五個荘という町がある。お隣の近江八幡などと並んで、近江商人のふるさとと呼ばれているところだ。
同じ近江商人のふるさとでも、二つの町の商人は考え方が違う。
近江八幡の商人は、出世して江戸など都会に進出を果たしても、本店は地元に置いたままなのだそうである。
一方で五個荘では、江戸や京・大坂でひと旗揚げて本店を都会に移転し、しかる後に地元に戻って“故郷に錦を飾る”という風潮があるのだという。
したがって、二つの町に残る豪商の屋敷も趣が違い、近江八幡の屋敷は比較的質素で、五個荘のお屋敷は、まことに贅を尽くした豪奢な造りになっている。
と書いてはみたが、商人屋敷の造りは本題にはたいして関係がない。重要なのは、五個荘が琵琶湖畔の町だということだ。そして琵琶湖畔の名物といえば、なんといっても「鮒鮓」であろう。だが今回は、あえて“もう一つの鮒料理”を取り上げたい。
ずいぶん昔に取材に出かけて以来、仲良しになった五個荘の観光担当者にUさんという人がいる。この人の案内で訪ねた料理店「納屋孫」で食べた湖魚料理の味は、20年以上を経た今でも、脳裏に焼き付いて離れない。
店の名物はいくつもあるが、湖魚料理の代表格、うなぎの蒲焼きがまず旨い。200年以上守り続けたタレが決め手だという。東京で味わうのよりもずっと濃厚で甘みも強い。
飴色に輝く「鯉の筒だき」は、鯉ならではの野趣味を残しながら、それでいて臭みをまったく感じさせない。こってり濃いめの味付けでじっくりと煮てあり、身は硬く締まっている。しかし、その身は実にキメが細かくて、口の中で噛み締めると、ホロホロとほぐれる心地すらするのである。
そして、この店で初めて食べた“鮒の子つき”の美味には、心底、感服した。
鮒? あの臭い魚? と思うだろうが、あまりにうま過ぎて、「うまい」という言葉すら出ない、というほどの味だった。
厚めのそぎ切りにした鮒の刺し身に、湯がいてほぐした鮒の卵をまぶしたもので、関西ならではの溜まり醤油とわさびで味わったと記憶している。後に調べると、酢みそで食べることもあるようで、「子まぶし」あるいは「子造り」と呼ぶこともあるようだ。
口に含むと、こってり甘い溜まり醤油に負けることもなく、野太い感じのする、コクのある旨味が舌の上に広がる。ほんのりと脂も乗っていて、泥臭さはみじんも感じない。噛むほどに口中で跳ね回るかのような、プツプツとした黄色い卵の舌触りもまた、この美味に一役かっている。
鮒の刺し身とはこんなに旨かったのか、と思ってしまうのは、子供のころ、しばしば鮒釣りをして遊んだ記憶があるからだ。
当時は、釣った鮒はすべて川や池に戻してやっていた。むろん、バケツの中で生きた鮒が放つ泥臭い匂いから、あのどこか薄汚れた感じのする金銀の鱗の下に、かくも力強い美味が隠されていようとは想像もつかなかったからである。
鮒の料理は、鮒鮓を除けば、すずめ焼きや甘露煮など、いずれも鮒特有の泥臭さを消す濃い味付けが特徴である。
ところが鮒の子付きは、鮒の味をそのままに味わうものだ。そこに“驚き”という調味料が加わって、僕にとって忘れ得ぬ味わいとなったのだろう。
この料理、地元ではスーパーでも売っているそうだ。それだけ身近な料理ということである。けれども、それを都会のスーパーで売り出し、これを買って食べても、本来の美味にはほど遠かろう。鮒の子つきは、やはり琵琶湖の畔を旅したときにこそ、味わいたい一品である。それが一番旨いに違いない。
夏のある日、再び納屋孫を訪ねた際には、季節が違うとのことで、この美味にありつけなかった。鮒は寒の時期が旬なのである。
最近になって、同じ湖北の琵琶湖畔の町・長浜に出かけ、「住茂登」という店で鮒の子つきを味わった。
長浜の冬の味と言えば、実は野ガモの鍋なのであるが、このすばらしき鍋料理はまた別の機会にご紹介したい。この店の鮒の子つきもまた、泥臭さとは無縁の、魯山人風にいえば「調子の高い」美味であった。
* 「納屋孫」
* 「住茂登」
- image by:飯塚玲児
- ※この記事は『mine』に掲載されたものを転載しています。
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