「下らない」と「下りもの」の語源に隠された、京都と江戸の上下関係

千年の都は平安時代に朝廷の役人として仕えていた人達が皇族が必要とするすべてのものを造っていました。ありとあらゆるものを役人である職人が、腕によりを掛けて技術を競い合っていたのです。平安時代も末期になり、武士が政治を行う武家社会になってからは、朝廷の権力は衰え、職人である役人はリストラされました。

彼らは京都の街に座という組合を作り職業を同じくする職人の街が各所に出来ました。一例が平安時代、織部司(おりべのつかさ)で働いていた人達が西陣に住み、大舎人座という組合を作り発展させたのが西陣織です。


このように京都の至る所でかつて朝廷で腕をふるっていた職人が民間人となり伝統工芸品の技を磨いていったのです。世界中どこを探しても、数世紀に渡ってあらゆる分野で国が公務員として職人を多く抱えた国はないのでしょう。彼らの上客は天皇を筆頭に公家や皇族です。

目利きのきく、審美眼が高い方達です。庶民ではないのです。ある程度のレベルを維持していれば、確実にそれなりの値段で買い取ってもらえたかもしれません。でも、売れればいいというよりも、いかにお気に召して頂けるかという、おもてなしの心は相当養われたでしょう。値段に文句をつけるお客さんではありません。

いい品を造り、気に入って頂いたら、それを超えるモノを毎回要求されるような環境だったでしょう。「これでいい」などと思える基準がない中で鍛え上げられた職人のプライドの高さは相当なはずです。このようなプライドなら高ければ高いほど良いものです。

長い京都の職人の歴史こそが江戸の徳川将軍家ですら、下りものに一目置く所以だったのです。今はクダラナイものでも上等なものが沢山あります。でも上等なだけでは済まされない下りもののブランドイメージは今だ健在です。

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