古くより“神様が住む島”として信仰を集めている「竹生島」は、琵琶湖の北部に浮かぶ小さな島。その名は「(神を)斎く(いつく)島」に由来し、「いつくしま」が「つくぶすま」と変じ名付けられたそうです。
しかも島内には、日本三大弁才天の一つ「宝厳寺」、国宝の「唐門」や「都久夫須麻神社」など歴史的に価値の高い建造物が密集しています。そんな日本屈指の開運スポットを散策してみました。
竹生島へのアクセスは長浜・彦根・今津の各港より出ている観光船を使います。例えば今回は、琵琶湖の西側に位置する今津港から「琵琶湖汽船」で島へ。高速船で約30分の船旅です。なお、入島には乗船料(往復)とは別に入島料が必要となります。
神様が住む島「竹生島」へ
島に近づけば、まるで神域を守っているかのように切り立った崖が島全体を囲んでいるのが見えてきます。この島は花崗岩の一枚岩からなっているのだとか。
この竹生島は『平家物語』に登場する有名なシーンがあります。それは木曽義仲討伐に赴く平経正(つねまさ)は竹生島に寄り道し、琵琶を奏でると、その素晴らしい音色に白龍が現れたという。
結末を知っている現代の我々からすると、「戦勝祈願とはいえ、ここで悠長に時間を過ごしている場合ではなかった」と思ってしまいますが、竹生島がそれほど特別な存在だったからに他なりません。
この後、経正は倶利伽羅峠で大敗し、平家は滅亡へと進みますが、経正が神仏をも感動させる音楽を奏でたことは後世に残されています。
日本三大弁才天の一つ「宝厳寺」
島に入り、まずは宝厳寺へ。目の前には 165段の階段が。息を切らしながら進んで行くと、石段に文字が刻まれているのが目に入ります。この文字は一体…?
実はこの文字は寄進した人たちの住まいや名前なんだとか。この竹生島では、寺の伽藍に使われている大半が寄進されたもの。
現代のような便利な機材のない時代、石を島外から運び込むのも命がけ。人の祈りによって完成した石段は「祈りの階段」と呼ばれています。そして、その先にある鳥居の奥に朱色の建物が見えてきたら宝厳寺に到着です。
宝厳寺の本尊は「弁才天」。寺伝によると、724年に聖武天皇の夢枕に立った天照皇大神より「江州の湖中に小島がある。その島は弁才天の聖地であるから、寺院を建立せよ。すれば、国家泰平、五穀豊穣、万民豊楽となるであろう」というお告げを受けたのが始まりだとか。
ちなみに、この竹生島は、江ノ島・宮島と並ぶ「日本三弁才天」の一つで、その中で最も古くに建立されたことから「大弁才天」と称されています。
七福神の一人として知られている弁才天は「富貴・名誉・福寿」「愛嬌縁結びの徳」「子孫」を恵む神、「音楽・智恵・財物」の神として広く信仰されている女神。
もともとはインド古代信仰の水を司る神「サラスヴァティー神」で、それが仏教における守護神として取り入れられています。宝厳寺のご本尊である弁才天は秘仏で、60年に一回ご開帳されます。次回のご開帳は 2037年です。
本堂の左右に鎮座するのが「宇賀弁才天座像」。よく見ると弁才天の頭頂部に宇賀神が小さく乗り、鳥居が添えられています。とってもインパクトがあるので、ここは見逃し厳禁。その周囲にたくさん並ぶ小さく赤いものはダルマさんです。
近づいてみると、赤いダルマさんは手に琵琶を持つ弁天様。お顔も一つ一つ違い、表情に個性があって、とっても可愛らしい。
このダルマは「弁天様の幸せ願いダルマ」といって、お願い事を書いた紙をダルマの中に収めて奉納し願掛けをします。古くより弁才天の聖地として信仰を集めている竹生島では、この願掛けを目的として足を運ぶ人も少なくありません。願いがよく叶うともっぱらの評判なのだそう。
宝厳寺の本堂から少し歩くと三重塔が近くに見えてきます。この辺りからは琵琶湖の絶景が望め、その近くには戦国武将の片桐且元の手植えと伝わっている「もちの木」も残されています。
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