今年も8月26日、27日の2日間に渡り、東京杉並区・高円寺で「東京高円寺阿波おどり」が行われました。そもそも「阿波おどり」といえば、徳島発の祭り。しかし、ここ東京でも「阿波おどり」は夏の風物詩で、毎年1万人の踊り手と100万人の観客数で大賑わいです。ところでなぜ、東京の高円寺で「阿波おどり」が人気となったのでしょうか。今年の阿波おどりレポと共にその始まりを紐解きます。
そもそも、徳島の「阿波おどり」がなぜ「高円寺」で?
今年の8月26日、27 日に高円寺の街で行われた「東京 阿波おどり」。1万人の踊り手と100万人を超える観客が織りなす東京の夏の風物詩として知られています。
「高円寺」と言えば、個性的な商店が軒を連ねる商店街が多く、商店街連合会に登録されている商店街の数はなんと13もあります。なぜ高円寺で「阿波おどり」なのかと言うと、昭和32年の8月に、現在のパル商店街振興組合に青年部が誕生したことを記念し、何かイベントをやろうと言う意見が出たのがきっかけだったそうです。
その頃すでにお隣の阿佐ヶ谷では、七夕祭りが開催されており、「これは負けてはおられぬ!」と、組合員たちはイベントの立ち上げを提案しました。しかし、商店街の狭い道では、櫓(やぐら)を建てるわけにもいかず、神輿は高価で手が出せないと悩みました。その時、「四国の徳島には、道を踊りながら進む祭りがあるらしいよ」という意見が出て、それを基にすることにしたのです。しかし、「阿波おどり」と呼ぶのは憚られ「高円寺ばか踊り」という名前になったそうです。
当時の踊りは「阿波おどり」からかけ離れたものだった
当時はだれも「阿波おどり」が踊れる人がおらず、お囃子はチンドン屋に依頼したものの、演奏されたのは「佐渡おけさ」だった…など、初めはなんともトンチンカンなお祭りだったといいます。
そして、いつまでも「ばか踊り」のままではいけないと、本場の踊りを教えてくれる人を探し、徳島県人で結成されている「木馬連」と出会い、踊りも急速に成長し、昭和38年に「高円寺 阿波踊り」と言う名称になりました。
「阿波おどり」当日は本場徳島県の特産物や観光もPR!
さて、今年の「阿波おどり」はどんな様子だったのでしょうか?当日は駅周辺の商店街を始め、細い路地もたくさんの人で溢れかえり、ものすごい熱気でした。南口広場では、イメージアップキャラクターの「トクシィ」を発見! すだちを配布して徳島のPRしていました。
イベントブースでは、徳島県の特産物のすだちやかぼすを使用した「すだちやっとさぁ(すだちカクテル)/ 600」「すだちやっとやっと(すだちフローズンカクテル)/ 700」などの冷たいドリンクが大人気で行列ができていました。すだちを使用したドリンクを飲んで阿波おどりを見物すれば、ここはもう「徳島」!
ルック商店街で「阿波おどり館」発見
場所取りの人で溢れかえる人混みをかき分けながら、ルック商店街をどんどん進むと、「阿波おどり館」を発見。ここには、阿波おどりの関連グッズや写真などが飾られています。
阿波おどりが終わると、今年の阿波踊りの写真コンテストがここで行われるそう。当日素敵な写真が撮れた方は、コンテストに参加してみてはいかがでしょうか?
演舞場は身動き取れないほどの人!人!人!
阿波おどりの連は、中央演舞場、ひがし演舞場、純情演舞場、パル演舞場、桃園演舞場、みなみ演舞場、ルック第一演舞場、ルック第二演舞場 から17時になると一斉にスタートします。
特に中央演舞場がすごい人過ぎて、ポイントを変えながら撮影するも背が低すぎてなかなかうまく撮れない…。
「ヤットサー!ヤットヤットー!!」元気な掛け声の意味は?
この日は高円寺のどこを歩いても、大きな和太鼓の音が鳴り響き元気な「ア、ヤットサー、ヤットヤットー!!」が聞こえてきます。
ところで、この言葉の意味は「お久しぶり、元気だった?」という意味があるそうです。
そして、「エライヤッチャ、エライヤッチャ、ヨイ ヨイ ヨイ ヨイ!!」という言葉の意味は「大変なことが起きたけど平気だぞ!」という意味意味あいがあるのだ
町興しがきっかけで始まった阿波おどりが盛り上がる理由は、
高円寺は年4回のお祭りが行われる
「東北大震災」の年に行われた阿波踊りは「節電」協力のため、昼間に行われたことがありました。災害による時間の変更やさまざまなことがありましたが、高円寺の商店街やボランティアスタッフ、周辺の住民の協力で今回も無事に開催されました。
阿波おどりが終わるといつもの高円寺の街に戻りますが、商店街の人や街の人たちは、来年の阿波おどりに向けて準備をし始めます。また、高円寺では「演芸祭り」や「びっくり大道芸」「高円寺フェス」などのお祭りも行われますので、ぜひ一度「高円寺」に足を運んでみてくださいね!
写真/牡丹餅 あんこ