前回掲載の「京都のナゾ。なぜ五重塔は、ここまで高く造られたのか?」では、東寺と醍醐寺の五重塔を紹介した無料メルマガ『おもしろい京都案内』の著者・英学(はなぶさ がく)さん。今回はその後編として、仁和寺と法観寺の五重塔にまつわるエピソードを記すとともに、「東京スカイツリーと五重塔の共通点」も明かしています。
五重塔に秘められた物語 2
今回は「京都のナゾ。なぜ五重塔は、ここまで高く造られたのか?」の続き、後編です。前回は東寺と醍醐寺の五重塔についてご紹介しました。後編では、仁和寺と法観寺の五重塔についてご案内します。
仁和寺
映画やテレビの時代劇に五重塔がよく登場しますが、その五重塔の大半は、ナント仁和寺の五重塔なのです。何でだと思いますか? この五重塔、時代劇とマッチするからなのです! どういうことかと言うと、江戸時代に建てられた、江戸らしさが残る五重塔だからです。
仁和寺の五重塔は下層から上層まで各層の屋根の大きさがほぼ同じという特徴があります。これは江戸期に建てられた五重塔の代表的な建築様式なのです。そのため時代劇で江戸時代の囲気を出すためにはこの五重塔が一番適しているというわけです。
醍醐寺の五重塔や法隆寺の五重塔のような古い時代に造られたものではダメなのです。古い時代のものは上に行くほど屋根のサイズが小さくなるのが特徴だからです。このような五重塔が時代劇に登場してしまうと、江戸時代の雰囲気が出ないのです(まあ江戸時代にも存在したからこそ現存しているのですが)。
仁和寺の創建は886年で鎌倉初期までは興隆が続きました。1467年から10年間続いた応仁の乱の時は全て焼失してしまいました。江戸時代になり3代将軍・徳川家光によって仁和寺は再興されました。応仁の乱で焼失してから200年近く経った1644年に再建されたのです。現在の五重塔はまさにこの時のものなのです。