ダム湖から復活した、船でしか行けない秘湯「大牧温泉」

湖畔に再建された大牧温泉 image by : 砺波市商工観光課フォトライブラリー

電力開発でダム湖に一度は没した大牧温泉が湖畔に復活する

湖畔に再建された大牧温泉 image by : 砺波市商工観光課フォトライブラリー

大牧温泉が現代において秘湯と言われる決定的な理由はまだ、明治時代には成立していません。明治時代には連日200人ほどが訪れる人気の湯治湯だったと言いますが、時代が大正期になると、水力発電所の開発が庄川流域で持ち上がります。

大正9年には庄川水力電気株式会社(庄川水電)が大牧温泉の土地と建物を買収し、温泉宿の少し下流に当時「東洋一の大ダム」と言われた小牧ダムを建設しました。社長は浅野総一郎という富山出身の事業家で、

<これで庄川流域に降る雨の一滴一滴がお金になるのですぞ>

(小寺廉吉著『庄川峡の変貌―越中五カ山の今と昔』より引用)

と発言したと言いますが、結果として小牧ダムの高堰堤(こうえんてい)が下流にでき、湛水(たんすい)湖ができたため、大牧温泉は湖中に没する運命となりました。


しかし土地と建物を買収した庄川水電は、ボーリングで地下の岩盤中に源泉を求め、水没後の湖畔に新しい大牧温泉の本館を作って、引き湯をしたと言います。幸運にも源泉の温度は地表にわきだしていたときよりも高くなり、湯量も増えたと言います。その結果、湖畔に孤立する天然温泉の宿、大牧温泉が誕生したのですね。

片道30分のクルーズで行く温泉は心が躍る

小牧ダムの船着き場(筆者撮影)

その後、庄川水電から大牧温泉は分離・独立をして、大牧温泉株式会社として再びスタートを切ります。大正、昭和、平成と時が流れ、温泉にも歴史と風格が備わり、湖畔にたたずむ秘湯として人気を博するようになりましたが、この湖畔に孤立する大牧温泉にはどのように訪れればいいのでしょうか。

<船でしか行けない秘境の一軒宿>(大牧温泉のホームページより引用)

とあるように、原則として一般の宿泊客は船でしかアプローチが許されていません。下流の小牧ダムに船着き場が用意されていて、庄川遊覧船が温泉と往復しています。ダムが作った湛水湖なので、静かで揺れもほとんどありません。のんびりと周囲の景色を眺めながらの片道30分のクルーズになります。

筆者も何度か乗船しましたが、天気の穏やかな冬の乗船が格別です。北陸の冬は雪が大変で基本的に晴れ渡る日などありませんが、奇跡的に晴れた瞬間に巡り会えればラッキーですね。

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