京都の東山界隈を歩いてみると、八坂の塔が低層の町家の間に見えて、風情が感じられますよね。この「八坂の塔」は通称で、正式には1440年に建てられた法観寺の五重塔です。
五重塔といえば、法隆寺(奈良)の五重塔も有名ですが、この五重塔は法観寺や法隆寺以外だと、一体どれくらいあるのでしょうか?
そこで今回は各種の資料を基に、日本にある五重塔をさまざまな切り口からまとめてみました。五重塔は全国に建てられていますので、五重塔を旅の目的に全国を巡っても面白いかもしれません。
※本記事は現段階でのお出かけを推奨するものではありません。新型コロナウィルスの国内情報および各施設などの公式発表をご確認ください。
五重塔は古代インドのストゥーパが起源
建築資料研究社が出版した『五重塔のはなし』(監修・濵島正士、坂本功)という書籍が手元にあります。2010年発行と書かれているので、情報はその当時の内容になり、2019年の現在は情報が少し古くなっている可能性もありますが、巻末には「日本の五重塔の一覧表」が掲載されています。
その一覧表を見るとびっくりしますが、五重塔は平成に入ってからも続々と全国で新築されているようです。五重塔というと、冒頭にも紹介した国宝である法隆寺の五重塔や、興福寺(奈良)の五重塔などが有名ですから、なんとなくすごく古い印象があります。
しかし、平成になっても最初の20年くらいで、新しい五重塔が全国のお寺で30近く誕生しているのです。
では、なぜ平成になっても五重塔は建てられ続けているのでしょうか。その理由は、五重塔が「塔」である点を理解すると分かりやすいです。
最近、筆者の親しい知人の息子さんが他界しました。遺骨はまだ自宅にあり、仏壇の隣にある床の間には遺骨ととともに卒塔婆(そとうば、そとば)が立てかけられています。卒塔婆とは、お墓に立てるギザギザの形をした木の板で、
<上部を塔型にした細長い板。梵字・経文・戒名などを記す>(『広辞苑』(岩波書店)より引用)
と辞書にも書かれています。言い換えればあの卒塔婆は「塔」そのものでもあるのです。
そもそも卒塔婆という漢字は、古代インドで作られた、土をドーム状に盛り上げた墳墓(ストゥーパ)が中国に伝わったときに生まれています。卒塔婆は塔婆、塔とも略されていきました。
塔という漢字を『漢字源』(学盒研)で調べると、もともとは「墖」という字が使われていて、つくりは「合」と同系だとされています。
「合」の字は、穴にふたを被せてぴたりと合わせる意味を持つそうで、仏陀(ぶっだ)など聖者の遺骨を収める場所を表します。
<これを「土」に埋め、時が経つにつれて「草木」が生え、やがて「塔」となる>(上田篤著『五重塔はなぜ倒れないか』(新潮社)より引用)
といった由来を「塔」という漢字は持つのだとか。
聖者の遺骨が納められた塔は当然、信仰や崇拝の対象になります。さらに仏教の経典の1つである『法華経』には、仏に心を開くための方法として、塔を建て、仏像・仏画を作って仏を供養する大切さが説かれています。
塔の建立は、仏を供養し、仏の世界に入る大切な方法のひとつなのです。また、五重塔は寺院建築や信仰心のシンボル的な役割も果たすため、歴史を通じていまでも五重塔が建立され続け、80を超える塔が現存しているのだと考えられます。