似島に残された原爆の歴史
似島には広島へ原爆が投下された際に検疫所が設けられ、大勢の被爆者が治療を受けるべく訪れた地です。原爆投下から20日間で処置を受けた数は、なんと1万人に及ぶとされています。島内には、そうした歴史に触れられる場所が点在していました。そのなかのいくつかをご紹介します。
馬匹(ばひつ)検疫所焼却炉
似島臨海公園にある「馬匹(ばひつ)検疫所焼却炉」は原爆投下の後、軍馬の検疫が行われました。そして亡くなった軍馬が、その遺体を焼却された場所です。島内にはこの他にも「第一検疫所」「第二検疫所」を含め、計3つの検疫所跡が設けられました。
弾薬庫通用トンネル
こちらは弾薬庫へと通じていた「弾薬庫通用トンネル」の跡。もともと第一検疫所だった場所が改修されて捕虜収容所に、そして弾薬庫として利用された場所なのだそうです。
旧軍用桟橋
似島学園の近くに残された、旧軍用桟橋。こちらは検疫所へ出入りした帰還兵が使用した後、軍用桟橋として弾薬の運搬等に用いられました。島内には、他にもいくつかこうした桟橋が残っています。
後藤新平の像
第一検疫所の創設に尽力した、後藤新平氏の像。似島学園の敷地内にあり、周回道路からもその姿が見られます。
火葬場跡(煙突)
見落としやすいのが、こちらの火葬場跡の煙突。島北部の海岸沿いにあり、日露戦争の際に戦場から戻って亡くなった兵隊、そしてロシアやドイツ兵の捕虜が火葬されたといわれている場所です。
あまり大きな煙突ではないので、付近に着いたら注意深く見てみてください。ちなみに私は見落としそうで、長男に「これじゃない!?」と教えてもらって気付きました。