お年玉が「お餅」だった?現代とは違う、江戸時代の年末年始の常識

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江戸時代は神社ではなく、家で厄払いをやっていた?

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1979(昭和54)年に生まれた男性の筆者は、2020年が厄年になります。

2019年には前厄だったため、近所の神社で厄払いをお願いしましたが、もちろん2020年もお払いをする予定です。みなさんも、厄年には厄払いをするという人が多いのではないでしょうか。

この厄払い、舞台は当然「神社」になります。神前で神職の方に言葉を奏上してもらい、大幣(おおぬさ)で払い清めてもらう一連の儀式ですね。

その後、祝詞を奏上してもらったり、玉ぐしを神前に捧げたりしますが、この厄払い、とても神聖な行事に見えて、実は江戸時代だと、物ごいも神職の役割を行っていたとご存じでしたでしょうか。

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加藤友康著『年中行事大辞典』(吉川弘文館)によると、江戸時代には「ええ、御厄払いましょう。厄落とし」とリズミカルに唱えながら、街を歩き回る物ごいがいたそう。

厄年の家族がいる家では、その物ごいを招き入れ、厄払いをしてもらったのだとか。

向こう一年の災厄を払う代わりに、豆と十二文のおひねり(紙に包んた銭貨)を受け取り、物ごいは次の人を探して、再び街を歩き始めます。

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岩波書店の『広辞苑』で「厄払い」を調べると、

<大晦日・節分などの夜、「厄払いましょう」といって町を歩き、厄年に当たる人の家などに頼まれて、厄難を祓う詞を唱えて銭を乞うた乞食>(『広辞苑』より引用)

とあります。この手の人に江戸時代では、厄払いをお願いしていたのですね。

ちなみに神社本庁によれば、厄年とは必ずしも悪い出来事が起こるという意味だけではないそう。

厄年にもなれば地域で一定の地域になり、地域の神事に深くかかわるようになる年齢になります。神事に携わる身として、心身を清らかに保ち、言動を慎む自覚を持つ意味でも、厄年には慎重な言動が求められるみたいですね。

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