お年玉が「お餅」だった?現代とは違う、江戸時代の年末年始の常識
江戸時代の「お年玉」は現金ではなかった!
お年玉といえば、何を想像しますか?当然、ポチ袋に入った現金ですよね。渡す相手の年齢によって500円玉1枚だったり、1万円札だったりと、金額はまちまち。子どもながらに(子どもが小さいうちは親にとっても?)、年始の最大の楽しみのひとつになっているはずです。
ただ、このお年玉、江戸時代のころは現金ではなかったとご存じでしたか?
『広辞苑』を調べると、
<新年の祝儀として贈る物>(『広辞苑』より引用)
とあります。必ずしもお金に限った話ではないという雰囲気が伝わってくる説明ですよね。
小学館の『日本大百科全書(ニッポニカ)』には詳しく書かれており、新年に際して何かを贈る習慣はそもそも中世(日本では鎌倉幕府の始まりから室町幕府の終わり)までさかのぼれるとの話。
近世(主に江戸時代)には、都市部では「扇」などの縁起物、全国的には「もち」を贈る習慣が一般的だったといいます。
扇を贈った理由は、歴史の謎を探る会著『日本人なら知っておきたい 江戸の商い朝から晩まで』(KAWADE夢文庫)にも書かれている通り、末広がりのアイテムだったから。
全国的に一般的だったもちについては、いまでも鹿児島県の薩摩半島から見て西の沖合に浮かぶ甑島(こしきしま)列島で、その原型のような習慣が残っているそう。
甑島では大みそかになると、神様に扮(ふん)した若者が子どもの暮らす家に現れ、子どもの素晴らしい部分をたくさん褒めた上で、悪い部分は直すと子どもに約束させます。最後に、お年玉として大きなもちを子どもの背中に乗せて帰っていくのですね。
このもちがかつてのお年玉だともいわれています。甑島の「トシドン」という行事は、ユネスコの無形文化遺産にも登録されています。
2019年の大みそかは間に合わないかもしれませんが、2020年の大みそかは、鹿児島県の甑島に旅行に出かけ、甑島で新年を迎えてみてもいいかもしれませんね。
- [参考]
- 厄祓いについて-神社本庁
- 甑島のトシドン-鹿児県
- 加藤友康著『年中行事大辞典』(吉川弘文館)
- 歴史の謎を探る会著『日本人なら知っておきたい 江戸の商い朝から晩まで』(KAWADE夢文庫)
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