お年玉が「お餅」だった?現代とは違う、江戸時代の年末年始の常識
大みそかの「銭湯」は大繁盛していた
江戸時代には自宅にお風呂がなかったため、銭湯(湯屋)が一般的でした。時代背景が違うため、簡単には比較できないのですが、江戸時代の幕末などは大みそかから元旦にかけて、ひっきりなしに銭湯へお客が訪れたといいます。
幕末の風俗を記した『江戸府内絵本風俗往来』の記述が『年中行事大辞典』に引用されています。その記述によると、初風呂と称して江戸時代の人たちがどのように銭湯を楽しんでいたのかが、よく分かります。
普段からも当時の銭湯は早朝営業を当たり前にしていたと書かれていますが、大みそかなどは、終夜お風呂をたき続け、その間も入りに来る客が途切れなかったそう。
そのため、夜明け前に少し客足が途絶えたところで、お湯を抜き、清掃をして、すぐに水を張り、慌ててお湯をわかし直したのだとか。夜明けの鳥が鳴くころには、また客が現れ始めたといいます。ものすごい利用のされ方ですよね。
ただ、先ほどの商人の大みそかを考えると、どうして元旦からお客が集まるのか、その理由が察せられるような気がします。明け方まで仕事に追われた商人が、ようやく仕事から解放されて、風呂を浴びに朝一番で出かける。商人の気持ちは、とてもよく分かりますよね。
銭湯では昆布や黒豆、梅干しなどを入れた縁起のいい緑茶「福茶」を提供し、お客は元日価格の12文の湯銭を紙に包み、番台に置いていったといいます。仮に銭湯の湯銭が8文であっても、ご祝儀的に12文を渡す習慣があったのですね(※1文=約12円ほど)。
1年の仕事を終え、徹夜明けのくたくたの体を引きずって、新年1番のお湯に入りに出かける、なんだか大変そうですが、一度はまねしてみたい気もします。
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