移動式の銭湯があった?歴史から振り返る、江戸時代の入浴スタイル

冬は温泉やスーパー銭湯、サウナのような場所が恋しくなりますよね。

こうした公衆浴場は人の出入りが多いため、暗黙の風習が決まっていたり、ローカルルールができ上がっていたりしますが、江戸時代までさかのぼると一体どのような入浴スタイルが存在していたのでしょうか?

そこで今回は、江戸時代のお風呂事情を紹介したいと思います。

江戸時代の銭湯は「混浴」が基本だった?

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江戸時代の浮世絵がいまでもたくさん残っています。

当時の風俗を描いた民衆的な風俗画の一種である浮世絵を見れば、江戸時代のお風呂がどのような状態だったのか分かります。

例えば、花咲一男・町田忍著『浮世絵で見るお風呂の歴史と文化「入浴」はだかの風俗史』(講談社)に掲載された浮世絵の数々を見て、真っ先に驚かされる現代との違いは、男女が当たり前に入り混じって(入り込んで)入浴を楽しんでいる状況。

そもそも銭湯(洗湯)は歴史的に見ると、鎌倉時代に始まり、江戸時代に花開いた経緯があり、その間に蒸し風呂からお湯を張る浴槽へと形が変わっていきます。

そうした変化のなかでも、江戸時代の中ごろ(寛政の改革)までは、ずっと混浴が当たり前に行われてきました。

「寛政の改革」で混浴が禁止に

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その背景には、いくつかの理由が挙げられます。


加藤友康著『年中行事大辞典』(吉川弘文館)によれば、江戸時代の銭湯では水とたき木が貴重だった(男女別々の湯船にお湯を張ると大変だった)といった理由からだとされています。

さらに江戸時代までは女性自身の裸に対する意識が、現代ほど過敏ではなかったとの話も、安田登著『日本人の身体』(筑摩書房)に書かれています。

ただ、女性の裸は当然、男性を刺激します。明かり取りの小さな窓しかない薄暗がりの浴槽のなかで、風紀を乱す行為が行われるケースも江戸時代は少なくなかったとか。そこで幕府は寛政の改革(1787~1793年)で混浴を禁じたのですね。

しかし改革後も、京阪ではお風呂場が男女別で、洗い場が男女一緒といった銭湯が残り、江戸では郊外を中心に入り込み湯(混浴)が残った場所もあったといいます。混浴の文化は、それこそ幕末まで生き残ったみたいですね。

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