リモートワークやオンライン会議が主流になったいまでこそ、電車に乗ることがちょっとしたイベントとなった人も増えましたが、ほんの1年前まではなんでもないことで、当たり前の日常に組み込まれていました。
そんな電車に乗ることが、まだ“普通のこと”ではなかった、20年以上前のある日。幼稚園の年長さん、5歳だった私は、小さな大冒険をすることになったのです。
幼い妹とふたり、大冒険の電車旅へ
その冒険とは、兵庫県尼崎市に住むおばあちゃんの家まで、一つ下の妹を連れた電車の旅。本当は母と3人で行く予定だったのに、仕事のため直前で都合がつかなくなってしまったのです。
母は子どもだけの電車旅をとても心配し、予定自体を取りやめようとしました。しかし、おばあちゃんに会いたい小さな姉妹は、それまでに何度も利用したことがあった路線だからと「私たちだけで行きたい!」と押し切ったのです。
当時の私の実家は、奈良県生駒市。いまなら近鉄生駒駅から阪神尼崎駅まで直通で乗り換えなしで行けるのでなんてことない旅なのですが、当時はまだ、阪神電車と近鉄電車がつながっておらず。(…書いていて、時の流れを感じています。)
近鉄生駒駅から難波・奈良線で近鉄鶴橋駅、そこから大阪環状線へ乗り換えてJR大阪駅まで行って、そこでJR神戸線へ乗り換えてJR尼崎駅まで…とずいぶん長い旅路になる予定でした。
もちろん大人になったいまならスマホ片手に楽々たどり着けますが、当時は子どもだけで出かけるといえば、近所の公園が精一杯のテリトリー。自分たちだけで駅まで行ったこともなければ、ましてや子どもだけで電車になんて乗ったこともありません。
親やおばあちゃんたちもよく行かせてくれたものだな、と思いますね。20年以上前だったからできたことで、いまの時代ではなかなか難しいかもしれません。
そして、いよいよ出発の日を迎えました。念のため、母が使っていたauの白い折りたたみ携帯を首から下げて、小さなカバンには、切符の買い方や電車の乗り換えのメモ、そしてたくさんのお菓子を入れて。
私と妹は、緊張と興奮で高揚した足取りで、自分の身長ほどしかない改札口に切符を投入しました。
…このときはまだ、このあと私たちを悲劇が襲うなんて、知るよしもなかったのです。