あなたの街にも「富士山」があるかも
日本が世界に誇る名山、それは「富士山」。雪化粧をした富士山は、ことのほか美しいものです。
新幹線の車窓から富士山が見えると、テンションがあがります。2013年には「信仰の対象と芸術の源泉」として世界遺産にも登録されました。
富士山といえば静岡県と山梨県。居住地によっては「遠いな」と感じる人もいるでしょう。
しかし、あなたの街にも富士山がそそりたっている可能性があります。それが公園の遊具「富士山すべり台」。ご近所でも富士山が拝めるかもしれないのです。
さらに、稜線(りょうせん)が優美な「プレイマウント」型と呼ばれる富士山すべり台は、なぜか名古屋に集中しているのだそう。
いったいなぜ、富士山すべり台は名古屋に集中しているの?
その謎を解いた書籍『名古屋の富士山すべり台』(風媒社)が発売され、いま話題となっています。ページを開けば、所在がわかっている富士山すべり台すべてが網羅されているのだから驚き。
書いたのは、愛知県津島市にお住まいの牛田吉幸(うしだ・よしゆき)さん(51歳)。牛田さんは食品製造会社に勤めながら、名古屋をはじめ全国の富士山すべり台の調査・撮影をライフワークとしているのです。
本邦初、すなわち世界初の「富士山すべり台だけ」の本を書き下ろした牛田さん。どうして富士山すべり台が名古屋に集まっているのか、さらに魅力について、お話をうかがいました。
「富士山すべり台」を調べまくったサラリーマン
―『名古屋の富士山すべり台』の刊行、おめでとうございます。「富士山すべり台」ばかりを取材した本だなんて前代未聞ですね。
牛田吉幸(以下、牛田):ありがとうございます。親や親族から「富士山すべり台?なにやってるの?」と思われていたので、これでやっと人に説明がしやすくなりました。
―新刊『名古屋の富士山すべり台』は名古屋市内や市外120カ所以上に存在する「富士山すべり台」をコンプリートした労作ですね。制作には、どれくらい時間がかかったのですか。
牛田:出版社が決まってから、3年かかりました。できる限り富士山すべり台の最新情報を載せたかったので、一度訪れた場所であっても再び足を運んで現状を確認したり、撮影をしなおしたり。
「とにかく現地へ行かなきゃ。自分の目で確かめなければ」と。なので再取材、再々取材を敢行しました。
―3年ですか。ずいぶん時間を要したのですね。
牛田:校了ギリギリに写真を差し替えた富士山すべり台もあります。
―校了ギリギリで!まさに、すべり込みですね。
牛田:富士山すべり台を造った公園遊具メーカーさんが「塗りなおしましたよ」と教えてくださったおかげで修正できたケースもあります。
この本をつくる過程で、建設会社の方々、遊具メーカーの方々、名古屋市の職員さんたちに、たいへんお世話になりました。皆さん、富士山すべり台に誇りを持っていて、少しでもいい本になるように協力してくださったんです。
撮影は真夏の快晴日。ある意味「命がけの登山」
―それにしても、どの写真も美しいです。「山岳写真」と呼びたくなります。
牛田:撮影は基本的に真夏の午前10時から午後2時まで。快晴で、なおかつ太陽が真上あたりにくる時間を狙いました。
―快晴の真夏ですか!たいへんですね。日射病や熱中症のおそれはなかったのですか。
牛田:命の危険と引き換えに撮影しました。日差しが強すぎて、気温が37度、38度と、体温を越えた日もあります。
けれども富士山すべり台を撮影するのなら、やっぱり真夏がいいですよ。発色がきれいです。みんなが楽しむ公園を暗い色で撮りたくはありませんしね。
それに気温が35度を超えると、見事に公園から人がいなくなります。撮影のみならず「すべり心地」も調べるので、周囲にお子さんがいないほうがいいんです。50代のおじさんがすべっていると、奇異な目で見られますから。
―すべり台の取材は命がけだったのですね。現場で実際にすべっているのも感心します。
牛田:必ず実際にすべります。材質だったり、経年の様子だったり、すべった質感からわかる情報がたくさんありますから。
会社の休日は全国「富士山すべり台めぐり」
―牛田さんは富士山すべり台を求めて名古屋のみならず全国をめぐっていますね。全国津々浦々に富士山すべり台が存在する。それらを発掘する熱意にも圧倒されました。
牛田:北は北海道・旭川から、南は九州・熊本まで捜索しました。LCCと青春18きっぷを駆使して。Googleマップで探したり、インターネットで調べたりしながら。「○○県に富士山型の遊具がある」と聞けば、すべて撮影しなきゃ気が済まないですから。
とはいえ、まばらに存在するので、移動には時間がかかりましたね。会社の休日の大半を撮影に注ぎ込みました。