2011年3月11日、14時46分に発生した「東日本大震災」から、早くも11年が経過しようとしています。長いところでは3分以上も震度4以上の揺れが続き、戦後最大といわれる被害をもたらしました。
いままでに経験したこともないほど大きな被害となった原因のひとつが津波。観測史上最大の大津波は家々を飲み込み、多くの命を奪いました。
そしてその津波によって引き起こされたもうひとつの大きな災害が原子力発電所の事故です。福島第一原発の事故は当時から現在に至るまでさまざまな方法で解決が試みられていますが、未だに終わってはいません。
しかし時間が流れるにつれ、そのニュースを耳にする機会も減っています。未曾有(みぞう)の大災害、原発事故による複合災害を忘れない、忘れてはいけないと建てられたのが「東日本大震災・原子力災害伝承館」です。
※本記事は新型コロナウイルス感染拡大時のお出かけを推奨するものではありません。新型コロナウイルスの海外渡航・入国情報および各施設の公式情報を必ずご確認ください。
双葉町にある「東日本大震災・原子力災害伝承館」
「東日本大震災・原子力災害伝承館」があるのは福島県双葉町。2011年当時、震災のニュースを見ていたかたなら街の名前が記憶にあることでしょう。
福島第一原発の5号機、6号機があった双葉町は、震災の前は豊かな自然に囲まれた穏やかで気候の良い、住みやすい街として知られていました。
双葉町は震度6の大地震に見舞われ、その後、原発事故に見舞われます。2021年現在でも避難指示区域に指定されているところも多くあるなか、復興への歩みを止めないようにとこの地に伝承館が造られました。
東日本大震災の被害、福島第一原発の事故を忘れないように、そして伝え続けるために「東日本大震災・原子力災害伝承館」は2020年9月に開館。
本当は東京オリンピックでたくさんのかたが訪れる時期に合わせて開館する予定でしたが、新型コロナウイルスの影響で少し遅れての開館となりました。
海外のかたにも日本で起こった複合災害を知ってもらえるようにと、館内には英語の表記や英語での対応が可能な学芸員のかたもいらっしゃいます。
いままでさまざまな災害に見舞われてきた日本ですが、このような災害をテーマとした施設は珍しいのではないでしょうか。大きな被害を受けた双葉町だからこそ、被害の実態と伝承することの大切さをリアルに伝えられる場となっています。
福島第一原発があったように、双葉町はもともと原子力の街として知られていました。入館して最初のコーナーでは、震災以前の双葉町の様子がプロローグとして語られます。
床にも映像が映し出される大型スクリーンで約4分間の映像が流れ、一気に2011年3月に引き戻されるような感覚を覚えます。
以前の双葉町には原子力発電所に勤務する人も多く住んでおり、原発は安全であると誰もが疑っていませんでした。「原子力の街」という看板が掲げられていたことからも分かるように、必要不可欠な電力を生み出す発電所は街の誇りであったはずです。
街に欠かせなかった原子力発電所が災害をもたらすなど、誰が予想できたでしょうか。明るい双葉町の様子に胸が痛みます。
あのとき福島第一原発で何が起こっていたのか
スクリーンのあるエリアを抜けると、次はどのようにして原子力発電所の事故が起こったのかを時系列で辿りながら学べるブースへと進みます。
テレビで見ているだけではよく理解できない事故の原因や、その時内部で何が起こっていたのかなどが分かりやすく解説されています。
一度訪れただけでは見切れないほどの記録と資料が展示してあり、どれだけ大変な事故だったのか改めて実感させられます。原発のようすを空から知るために利用されたドローンや、防護服なども展示されているのが特徴です。
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