時をかける手作り時計。安芸の田園を見守るノスタルジックな「野良時計」

image by:photoAC

高知県安芸市、のどかな田園風景に、120年以上にもわたって時を刻みる続ける特別な時計があることをご存じでしょうか。

名曲『大きな古時計』の歌詞さながら、チクタクと動き続け時間を知らせてきた通称「野良時計」は、安芸市のシンボルとして観光名所のひとつになっています。

今回は安芸市のノスタルジックなシンボル野良時計とその周辺の観光スポットを合わせてご紹介します。

※本記事は新型コロナウイルス感染拡大時のお出かけを推奨するものではありません。新型コロナウイルスの国内・各都道府県情報および各施設の公式情報を必ずご確認ください。

絵画のような風景と野良時計

image by:photoAC

緑の美しい田園にある白壁の建物と、その前面にある野良時計。ノスタルジーを感じさせる佇まいの野良時計は、高知県安芸市にあります。土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線の安芸駅からバスで約10分ほどの場所で、安芸市のほぼ中心に位置しています。

「野良時計」というのはこの時計だけの通称で、「櫓時計(やぐらどけい)」という種類に属する時計です。これは和時計の一種であり、ヨーロッパの掛け時計や時計台をモデルにして作られたものなんだそう。

野良時計も、どことなく西洋の雰囲気を感じさせる素敵なデザインですが、時計台といえば町中にあるのが定番。どうしてこんな田園風景にあるのでしょうか?実は、安芸市の歴史と古く関係していました。

誰もが見ることができる、すべて手作りの時計

image by:photoAC

正面、そして左右にも文字盤のある小さな時計台となっている野良時計。いまは常に動いているわけではありませんが、イベントの際や観光シーズンには動かされています。

この時計台、実はひとりの人物がすべて手作りで作ったもの!しかも作られたのは明治20年ごろというのですから驚きです。

当時、時計はすべての家にあるものではなく、現在のように手軽に身につけられるものでもありませんでした。


農作業をしている人々にとって、外で正確な時間を知ることは困難で、かつ時計がある家も多くなかったといいます。明るくなったら働き、暗くなったら帰るという生活の人々に時間を正確に知らせようと作り出されたのが、この野良時計なのです。

野良時計を作った人物とは

時計がまだまだ珍しいものだった時代に、部品から時計を作り出したのがこの土地の地主の息子であった畠中源馬氏です。畠中氏は裕福な家に育ち、彼にとっては時計も身近なものでした。

時計に興味をもった畠中氏は、父親に頼んでアメリカから八角時計を取り寄せます。10歳のころに買ってもらったそのアメリカ製の八角時計をもとに、分解と組み立てを繰り返し、構造を独学で学んだとされています。

アメリカ製の時計の構造をすべて理解した畠中氏は、部品からすべて手作りで時計を作り始めます。構造を学んだだけでなく、作り出してしまうなんてすごい情熱ですよね。この時代、材料も簡単に手に入るものではなかったことでしょう。

改良を繰り返し、とうとう誕生したのがこの野良時計というわけです。畠中氏の情熱と興味が実り、形となったものが時代を超え、いまも動くことに加え、町のシンボルとして大切にされているなんて感動してしまいますよね。

この野良時計は、明治時代の国産時計として現存する唯一のもので、とても貴重。1996年には「国の登録有形文化財」にも指定されています。


時計台と花畑の美しさ

image by:photoAC

白壁に安芸瓦のという佇まいの日本家屋、それだけでも十分に美しいのですが、そこに小さな時計台が加わる風景は唯一無二のものです。

ローマ数字の書かれたおしゃれな文字盤は北・東・西の3つあり、昔はすべての時計が動いていたのだとか。農作業をしながら、どこからでも時間の確認ができるようにと3つ作られたといわれています。

この美しい野良時計を訪れるのにもっともおすすめのシーズンが夏と秋!というのも、野良時計の目の前の畑にヒマワリとコスモスが咲き誇る季節なのです。ビタミンイエローが眩しい季節か、優しいピンクに染まる季節かお好きな方で訪れてみましょう。

野良時計のある畠中家は、いまも住人の方がお住まいです。そのため時計台を中から見ることはできません。外からご迷惑にならないよう、見学させてもらいましょう。

Page: 1 2

TRiP EDiTOR編集部 :TRiP EDiTORは、「旅と人生をもっと楽しく編集できる」をコンセプトに、旅のプロが語りつくす新しい旅行メディアです。