京都府乙訓郡大山崎町、天王山の南麓にある美しい洋館「大山崎山荘」は、大正から昭和にかけて建てられた実業家・加賀正太郎氏の元別荘です。
現在は安藤忠雄氏設計による新棟と共に「アサヒグループ大山崎山荘美術館」として公開されています。コレクションも素晴らしく、クロード・モネの『睡蓮』連作をはじめ、河井寬次郎や濱田庄司などといった民藝作品を有することでも有名です。
今回は、この「アサヒグループ大山崎山荘美術館」の魅力をたっぷりご紹介します。
築約100年の洋館「大山崎山荘」とは
「アサヒグループ大山崎美術館」へ訪れる前に、少しだけ「大山崎山荘」についてご説明しましょう。
大山崎山荘は関西の実業家・加賀正太郎(1888~1954)氏が、大正から昭和初期にかけて作った別荘です。加賀氏の事業は幅広く、本業の証券仲買業の他に土地経営、吉野の山林経営などを営んだほか、ニッカウヰスキーの創業にも筆頭株主として参画。
その株は晩年、氏と深い親交があった朝日麦酒株式会社(現:アサヒグループホールディングス株式会社)の初代社長・山本爲三郎(1893~1966)氏に託されています。
別荘建設地として大山崎が選ばれたのは、加賀氏が若いころに訪れたイギリスのウィンザー城から眺めたテムズ川の風景と、ここから見える木津・宇治・桂の三川が合流する風景を重ね合わせたからだといわれています。
設計は加賀氏自ら行い、15世紀終わりから16世紀初めにかけてイギリスで流行したチューダーゴシック様式で建てられました。
加賀氏亡き後、建物は何人かの手に渡りましたが、平成に入ってから取り壊しの危機にあい、保存運動が展開されます。
そこで京都府や大山崎町から要請を受けたアサヒグループホールディングス株式会社が、府や町と連携をとりながら山荘を創建当時の姿に復元。
安藤忠雄氏設計の新棟「地中の宝石箱」を加え、1996年4月に美術館としてオープン。そして2023年7月1日、館名を新たに「アサヒグループ大山崎山荘美術館」に変更されました。
トンネルを抜けるとそこは…
アサヒグループ大山崎美術館へはJR「山崎駅」、阪急「大山崎駅」から坂道を約10分ほど登った山の手に立っています。
各駅からシャトルバスも運行しているので、坂道はちょっとキツイという方はバスに乗るのがおすすめ。停留場で下車し、美術館の入り口「琅玕洞 (ロウカンドウ)」(国の登録有形文化財)をくぐります。
トンネルを抜けると目の前に緑が広がりました。トンネルが入り口となり、別世界へいざなってくれるよう。
緩くカーブした坂道を登り、現在はレストハウスになっている旧車庫(国の登録有形文化財)の前を過ぎると……。
「流水門」が見えてきました。流水門という名は、かつて門から水が流れ、車のタイヤについた泥を流してくれたからなのだとか。
門を入り、しばらく行くと玄関に到着です。山荘は何度かの増改築を重ね今の姿になったのですが、第一期工事が完成したのは着工からなんと5年後のこと。
建築当時は今とは全く異なり、イギリスの炭鉱夫の家をイメージした建物だったのだとか。玄関部分に少しだけ当時の面影を見ることができます。