【京都・木津川】個性ありすぎ!次世代和菓子の世界

image by:長盛堂

見てください、この美しく繊細な和菓子たちを。

ん……?中には、これは和菓子?というものも混ざっていますね。

うっとりと見惚れてしまう正統派なものから、こんな和菓子見たことない!というバラエティに富んだものまで、いまSNSで大注目されている“マッチョな和菓子職人さん”が京都府木津川市にいることを知ったKYOTO SIDE編集部。早速、会いに行ってきました!!

木津川で創業100年を越える老舗和菓子の長盛堂

京都府最南端にある木津川市は、奈良県との県境にある自然豊かで歴史深いまちです。

JR木津駅からほど近く、周りには田んぼが広がり川も流れている住宅街の小さな道沿いに、目的の「御菓子司 長盛堂」はありました。

見た感じは、よく目にする親しみやすいまちの和菓子屋さん。ここの7代目が、InstagramやTiktokなどのSNSで1万人近いフォロワーを持つ職人さんなのだそう。一体、どんな方なのでしょう?

ようこそ!と元気よく出迎えてくれた、笑顔が素敵なお兄さんが、長盛堂7代目の植田嘉昭(よしあき)さんです。

確かに、ガタイがよくて体育会系なのが外見からも伝わってきますね。

本日は、よろしくお願いします!!

長盛堂は元々、この木津の地で初代創業者が和菓子屋の卸業として「岸」の屋号のもと、卸売業を営んできました。卸売でなく、和菓子の製造と小売に移ったのは、5代目(嘉昭さんの祖父)の代。6代目である嘉昭さんの父・耕爾(こうじ)さんが、現在の場所に店舗(長盛堂)を構えます。

以来、「安くて美味しい」を掲げ、長盛堂は地元住民の皆さんに親しまれるまちの和菓子屋さんとなりました。

マッチョな和菓子職人に、僕はなる!!

長盛堂7代目を継いだ嘉昭さんですが、いつ頃、和菓子職人を志したのでしょう。

幼稚園のころにはすでにその片鱗があり、お父さんが幼稚園に迎えに行くと先生から「今日は粘土細工で三色団子作っていましたよ」なんて言われたこともあったそう。

小学校の卒業文集に「世界一の和菓子職人になる」と書き、中学では「日本一の和菓子職人になる」と書いてましたが、成長すると共に、現実を知っていったと笑う嘉昭さん。

職人になるとはっきり決めたのは、高校時代。ラグビー部で身体を鍛えており、消防士や自衛隊も頭をよぎったそうですが、父と同じ和菓子職人になると決めてからは、京都市内の老舗京菓子屋で見習い職人になります。3年間の通い修業の後、修業先の京菓子屋さんに請われて正社員として2~3年ほど働き、長盛堂へと帰還しました。

京都は、京都市は元より府域でも和菓子屋の数は多く、お客さんの争奪戦になっています。次世代を担う嘉昭さんは、周囲に自分のことを覚えてもらうためにはどうしたらいいかを考えました。

最初にやるのはみんな名刺交換、その時に「ちょっとがっちりしたマッチョな和菓子屋さん」は、頭に残るなと思ったそうです。体は大きくて昔からよく目立っていたそうで、体育会系という自分の個性も活かすことが大事だと考えました。

対面した時に「何かやってました?」と尋ねてくる人も、大抵が何かしら身体を鍛えていたり筋トレをやっている人が多いそうで、通じ合うものがあるらしく、そういう人ならではのマッチョコミュニケーション(笑)もあるのだそうです。

「大事なのはギャップ。木津川のガタイのいい和菓子屋のお兄さん、と覚えてもらえたら嬉しいです」と嘉昭さんは語ります。

まるでアート!な長盛堂の次世代和菓子の世界

画像:長盛堂

そんなマッチョな和菓子職人のお兄さんが作る和菓子が繊細すぎる!面白い!と話題なんです。

それが、嘉昭さんがInstagramでやっている「一日一菓子」。名前の通り、1日1つ、自作の和菓子をアップしているんです。

その和菓子には、美しいボカシや細かい技巧が施されており、デザインもこれまであまり見たことがないものが多く、ついつい見入ってしまうものばかりです。

画像:長盛堂

京都市内の京菓子屋で働いていた時に、嘉昭さんは「春夏秋冬季節によってお菓子は変わるが、毎年同じデザイン」であることに着目します。

春はこれ、夏はこれ、という和菓子の造形には決まりごとがあります。そして京都市内では抽象的な表現でお客さんにもイメージしてもらうことが多いのですが、果たしてそれは木津川でも通用するのか……。

自分の地元を考えた時に、木津川で同じことをやってもうまくいかないと考えた嘉昭さんは、あえてセオリーを外し、写実的なものを意図的に、そして毎日デザインを変えることにこだわって、自分の和菓子作りを始めました。

「桜には桜で種類があるし、春の風景にもいろいろあります。いろいろなパターンを作って、お客さんを飽きさせないようにしたいと思いました」

画像:長盛堂

嘉昭さんが作る次世代和菓子は、従来の和菓子とはなるべく違うもの、そしてちょっと面白みがあるもの。確かに、見ていてクスッと笑える造形も多いです。

「一日一菓子」は25〜6歳のころ、長盛堂に帰ってきたタイミングで始めたそうで、元々は自分の記録用としてアップしていたそうですが、徐々にファンが増えていき、コロナ禍の時におうち時間が増えることでSNSを見る人が増えてから、一気にバズりだしたそうです。

「一日一菓子」のInstagramは現在ではカタログのようになっていて、ここから自分好みの和菓子を注文することが可能です。(一部、販売できないものもあります)

もちろん、これらはしっかりとした菓子職人の技術あっての賜物です。そこで、嘉昭さんに和菓子作りの工程を見せてもらうことにしました。

和菓子とは基本は「包餡(ほうあん)」、あんこを包んだお菓子です。

タネ自体は「練りきり」です。練りきりとは、あんことつなぎで作る、細工しやすいよう加工したもののことを言います。

つなぎには小麦粉なども使われることがありますが、アレルギーがある方や小さいお子さんでも和菓子を食べられるように、長盛堂ではもち粉を蒸したものを使用しているそう。

それでは、和菓子作りスタート。まずは、美しい王道の和菓子を作ってもらうことにしました。

4つの色付きの練り切りを白い練り切りで包み、それを一度潰してぺったんこに。そうして作った外皮であんこを包んでいきます。

この時、皮の部分の色味をどれくらいぼかしておくか次第で、包んだ時により綺麗なグラデーションになるそうで職人の腕が試されるそうです。

次に、細工の工程です。

三角棒(押し棒)を使って、十六等分にします。そして、洋菓子でも使うマジパン棒のヘラの部分で、パッパッとリズミカルに柄をつけていきます。このヘラの技術があれば、なんでもできるそうですよ。
最後に金箔をのせると……4色の美しいグラデーションが特徴の、華やかな夏の和菓子「花火」の完成です!!

取材の時期はちょうど節分の季節でした。ですので、オリジナルの鬼の和菓子も作ってもらいました。
和菓子は、季節に応じたものを作るのも基本です。何かオリジナルでのオーダーが入ったとしても、なるべく季節をイメージして作るようにしているのだそうです。

鬼さんの目にはブラックココアを使用してますが、これは目に光が灯り生きているように見える工夫。口をへの字型にして、手もつけるとさらにイキイキとした表情の鬼さんに。

子どもたちも一目見るなり「鬼さんや!!」と気に入ってくれたという、嘉昭さんオリジナルの節分和菓子です。

なんと、今回の取材のために京都府の広報監まゆまろも作ってくださいました! しかも、3体も!!
見ての通り、表情豊かな3体はいずれも再現度が高くて、ビックリしてしまいました。

実は、絵を描くのは苦手だという嘉昭さん。造形の和菓子だとこんなにも立体的で再現度の高いまゆまろが作れるとは、不思議なものですね。

親子で作る王道と新道の和菓子

嘉昭さんの父である6代目の耕爾さんにもお話を伺いました。耕爾さんも現役で菓子作りをしている和菓子職人で、令和3年に京都府の「現代の名工」に選ばれた方です。

ご自身は、5代目である自身の父から受け継いだものを、次の世代へバトンタッチする役目だと語ります。嘉昭さんに跡を継ぐようにとは一回も言ったことがないそうで、高校時代に「見習い先を探して欲しい」と言われ、そこで初めて息子の決意を知り、慌てて探したとのこと。

耕爾さんが仕事でこだわっているのは「あんこ」。長盛堂の和菓子に使われるあんこは、すべて店内で仕込みを行う自家製餡。豆の状態の小豆をいちから炊いて、3時間以内に味のついたあんこ(白餡、粒餡、こし餡)に仕上げることで、風味がまったく違うものになるのだそう。

お客さんからよく言われるのは「ここのはあんこが違うね」という褒め言葉。

そして、長盛堂は「安くて美味しい和菓子」を目指しているため、材料費が上がっても現在まだ値上げはせず、リーズナブルな価格帯でお菓子を提供しています。

嘉昭さんの作る次世代和菓子について、最初は自分の時代にはなかったものだと感じたそう。

昔であれば「邪道」と称され、店によっては追い出されることもあるかもしれないという新しい和菓子でしたが、耕爾さんは「ええんちゃうか。売れるんやったら作ればいい」と、店に置くことを許しました。

そうして、父が作る昔から親しまれている王道の和菓子と、息子が作る新道の次世代和菓子が店頭に並ぶことになったのです。

取材中に、微笑ましい光景に遭遇しました。近隣の中学生が、おやつの時間に和菓子を買いに来たんです。よく買いに来ているらしく、せっかくなので好きなお菓子を聞いてみたところ「薯蕷饅頭(じょうよまんじゅう)」「くずバー」など、今ドキ中学生の口から渋いセレクトが。

コンビニやスーパーでなく、和菓子屋さんに子どもたちがおやつを買いに来るということが自然にある光景、これがなんだかとても素敵だなと感じました。

ちなみに、実は長盛堂、小さな子どもたちやその親御さんからも大人気のお店なんです。

先述の通りアレルギーに気をつけていることは元より、お客さんからよく言われるのが「うちの子は和菓子を食べなかったのに、ここのは食べるんです」という言葉。

子どもたちが「美味しい」と食べてくれるという報告を聞くと、とても嬉しくなるそうです。

ハロウィンの時期には、子どもたちが「おっちゃーん!なんかちょうだい」とお店にやってくるので、耕爾さんはその準備もしているそうです。

嘉昭さんは、「ハロウィンはぶっ飛んだものを作っていいと思っているんです」と、いつもより力を入れたハイクオリティな和菓子を作って、お客さんを楽しませているとのこと。

地域で親しまれているお店ならではのエピソードですね。

今後も木津川で美味しいお菓子作りを

取材中、耕爾さんが貴重なものを見せてくださいました。

100年以上の歴史を持つ長盛堂で、代々の主人が残してきたレシピ帖です。古いものの中には、大正4年のものや、昭和初期など6〜70年前のものもありました。中には、今はもう作っていないお菓子の情報が多く含まれていたそうです。

「チャンピオン」「君が代」「金世界」「銀世界」など、気になるお菓子の名称やレシピが、しっかりと残されていました。

こういうレシピ帖を元に、いま少しずつ昔のお菓子を復刻させているそうです。

5代目の時代に人気だった「でっち羊かん」もその一つ。お客さんから「おたくのでっち羊かんが美味しかった。また食べられへんか?」と聞かれ、昔のレシピを探して、改良して2023年から売り出しました。

昔のお菓子の復刻は、今後の目標の一つだそうです。

嘉昭さんはSNSで積極的に投稿やライブ配信をしていますが、そこでよく「京都市内のどこにあるんですか?」と聞かれるそうです。その度、京都府南部の木津川市の説明をしているそうで、京都の和菓子=京都市内というイメージを、木津川市の和菓子屋さんへと広げていきたいと語ってくれました。

耕爾さんは、そんな息子の活動に「我々では思い付かないことをやっている。今の時代にあったことをしていかないと」と語ります。

二人とも「木津川の地で、リーズナブルな値段で美味しいものを作りたい」という同じ気持ちを持ってありました。

京都のマッチョな和菓子職人のお兄さんと、時代の変化に寛容なお父さんが作る美味しい和菓子を食べに、ぜひ、木津川へお越しくださいね。

■■INFORMATION■■

御菓子司 長盛堂
住所:京都府木津川市木津八色39
TEL:0774-72-0346
営業時間:9:00~18:30
定休日:水曜
7代目・嘉昭さんのInstagramはこちら↓
https://www.instagram.com/wagashi_uecchi611/?img_index=1

  • source:KYOTO SIDE
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