「むかし、むかし、あるところに…」で始まる日本昔話、その中でも『桃太郎』といえば、日本人なら誰もが知る有名な物語。桃の実から生まれた桃太郎がきびだんごを携え、イヌ、キジ、サルを家来にして鬼ヶ島に住む悪い鬼を退治する。ところで、「あるところに…」ってドコなんだろう?
一般的に、桃太郎といえば岡山県というイメージは強いですよね。しかし日本各地に桃太郎伝説は残されているんです。例えば、山梨県大月市、愛知県犬山市、香川県高松市など。
しかし、「ここが桃太郎伝説の発祥地」と断定するのは難しい。地域の民話として、それぞれの地域で語り伝えられているからです。
今回は桃太郎伝説の発祥地候補として、最有力候補の一つ山梨県大月市を巡ることに。実はここには談合坂(団子坂)、犬目(イヌ)、鳥沢(トリ)、猿橋(サル)、百蔵山(ももくらさん)、九鬼山(くきさん)と桃太郎伝説に関する地名がズラリと並んでいる有力な場所なんです。そこで大月桃太郎連絡会議事務局の箕田さんに連絡をとり訪問していろいろと教えてもらい、参考資料も見せていただきました。
同氏は大月市に伝わる桃太郎伝説を世間に広める活動を始めたキーパーソンの一人。話を聞けば、そのキッカケは意外。というのも、30年ほど前に岡山県出身の若者が移住して「大月市の桃太郎こそが本物じゃないですか」と言った何げない言葉から本格的に再調査し活動を始めたのだそうです。
大月周辺には桃太郎と関係深い地名や史跡が点在し、戦前の絵本や明治時代の錦絵には桃太郎と一緒に富士山が描かれています。これらの物証を繋ぎ合わせていくと「やっぱり桃太郎の物語は大月が舞台だ」と確信に変わったのだそうです。
その一例をいうと、昭和12(1937)年発行の桃太郎の絵本には、大月が桃太郎の生まれた場所として紹介されており富士山が描かれています。また明治23(1890)年の菱川春宜が描いた桃太郎の錦絵には、その背景に富士山が描かれているのだとか。
これだけで判断はできませんが、桃太郎の物語に関するルーツの貴重な証の一つと言えそうです。
そして現在、大月市内には桃太郎伝説を模したローソンがあります。地元では「モモタローソン」と呼ばれているのだそうです。
また市内の桃太郎がデザインされた自動販売機も見られます。大月桃太郎連絡会議の活動は地道に結果を出し、桃太郎伝説は山梨県といった認識が改めて広まり出しています。
大月市で語られている桃太郎伝説とは?
大月市に伝わっている「桃太郎」の物語を改めて見てみましょう。
むかし、むかし、岩殿山の東に百蔵山という山があり、この山から大きな桃が転がり落ちて葛野川に入り、上野原の鶴島に流れてきたという。その桃を拾い上げたお婆さんがお爺さんと一緒に食べようと持ち帰り割ったら中から元気な赤ん坊が…。
桃太郎と名付けられた男の子は、岩殿山に住みついた鬼の話を聞いて退治する決意をする。そしてきびだんごを持って出かけると、途中の犬目でイヌを、鳥沢でキジを、猿橋でサルを家来にした。
そして鬼との格闘の末、鬼は左手に持っていた石杖を桃太郎にむけて投げ、徳厳山に逃げようと片足をかけたところ股が裂け自滅したという。
一般的に耳にする「桃太郎」の物語と少し異なります。例えば鬼の最期は意外。その一方でイヌ、キジ、サルが地名と共に登場している点などはとても興味深いですよね。
大月市周辺の「桃太郎の伝説地」を散策
では、大月市に伝わる「桃太郎伝説」を巡ってみましょう。まずはJR大月駅から歩いて3分ほどの場所にある「桃太郎神社」に行くのがおすすめだと箕田さんに教えてもらいました。
ここはパッと見た感じ「何コレ?」と笑ってしまいそうな雰囲気ではありますが、神社を兼ねた資料館のような役割を果たしているそうです。大月市に伝わる桃太郎伝説に関して欲しい情報の大半はここで手に入ります。
例えば、物語の中に出て来た犬目、鳥沢、猿橋はどの辺りなのか?手作りの展示資料にはその位置がしっかり記されています。
この展示資料をGoogleマップに反映させて改めて見れば、桃太郎が鬼退治にどのルートを通って来たのか分かりやすい。上野原の鶴島から犬目、鳥沢、猿橋、そして岩殿山へ。まるで物語の流れが見えて来ますよね。
桃太郎神社から「鬼の岩屋」「子神神社」「鬼の盃」「鬼の杖」へと大月周辺にあるスポットへ。ここは駅から徒歩で散策も可能。まずは鬼が住んでいたと伝わる岩殿山の麓にある「鬼の岩屋」に向かいました。畑倉登山口から歩いて5~6分ほどで行けます。
岩殿山は戦国時代に武田二十四将の一人・小山田信茂の山城のあった場所として知られています。小山田信茂といえば、勝頼を裏切り武田家滅亡に導いた人物という印象が強い。もしかして鬼は小山田信茂を指すのでは?なんて考えが頭に浮かんだりしがちですが、それは浅はかな考えのようです。
最近の研究では、私利私欲の裏切りではなく城下が戦場になって民衆の命が失われるのを避けるため、自らを犠牲にして領民を守ったという説が濃厚とされています。
この「鬼の岩屋」は、戦国武将ゆかりの地の中にどっぷりと存在している点も面白い。歴史好きにはたまらないことでしょう。
正式名称は「新宮洞窟」で、鬼が住んでいたとされる洞窟は雨量の多い時には美しい滝が出現します。残念ながら洞窟内は落盤の危険があり、現在は中に入ることができません。
ちなみに、このまま遊歩道を進み30~40分ほど歩けば岩殿山の山頂に到着します。山頂から富士山が美しく見られるのでおすすめ。桃太郎と富士山…この関係を考えれば大月市の説が有力に感じてなりませんね。
岩殿山の畑倉登山口から南へ10分ほど歩けば「子神神社」があります。ここは赤鬼が逃げようと徳厳山に足を掛けたが届かず股が裂け、その血が染み込んで一帯が赤土になったと伝わり「鬼の血」とも呼ばれている場所です。
さらに4分ほど南に歩いた先には「鬼の盃」があります。修験道として栄えた円通寺(天台宗)の跡地に残された手水鉢ですが、赤鬼が夜な夜な酒盛りに使ったと言われています。
そのスグ近くに鎮座するお地蔵さんにも注目してみましょう。よく見ると手には宝珠ではなく桃を持っているんです。その詳細は不明ですが、桃太郎の伝説と何か関わりがあるのではないでしょうか。
お地蔵さんの地点から10分ほど東に歩けば「鬼の石杖」が。これは桃太郎と鬼が戦った時、鬼が投げ飛ばした石杖なんだそう。この石杖は2つに折れて1つはココに突き刺さり、もう1つは笹子峠近くの白野まで飛んで行ったと伝わっています(鬼の立石)。
犬目、鳥沢、猿橋まで
大月桃太郎伝説の主要なスポットを巡れば、さらに足を延ばして車で犬目、鳥沢、猿橋まで行ってみたくなります。車で往復1時間もみれば十分に行って戻れる距離。
鬼の杖から「犬目」を目指し車で東へ向かうと「百蔵橋」にさしかかりました。ここは「大月桃太郎伝説」の舞台が一望できるベストスポット。
橋の中央から上流を眺めれば、左から鬼が住んでいた岩殿山、逃げる時に跨いだ徳厳山、桃が転げ落ちた百蔵山(桃倉山)、その桃の流れ下った葛野川が見えます。
百蔵橋から東へ15分ほど走ると、甲州街道から県道30号(旧甲州街道)に折れ、山道を進んで行き、集落の中に「犬目宿」の石碑が見えてきました。この辺りが桃太郎とイヌが出会った場所。
そして、来た道を西に戻れば「JR鳥沢駅」があります。きっとこの付近でキジと出会ったのでしょう。
そして、鳥沢駅の少し西にはサルと出会ったとされる「猿橋」があります。猿橋は地名にもなっていますが、ここには有名な橋が架かっています。
「岩国の錦帯橋」「木曽の棧(かけはし)」と並ぶ日本三奇橋のひとつとされ、歌川広重の「甲陽猿橋之図」や十返舎一九の「諸国道中金之草鞋」などにその珍しい構造が描かれているのだとか。
この猿橋の近くには、大正時代に「旅館 桂川館」があり、そこで“桃太郎もち”が販売されていたのだそう。その包み紙には桃太郎の絵と歌、パッケージには「桃太郎 ここらで伴を連れにけん 犬目,鳥澤,猿橋の宿」と描かれていました。
つまり、ここが桃太郎の舞台であることにより誕生した商品であることもわかります。現在確認できる桃太郎をモチーフにした最古のお菓子。「桃太郎」の舞台が大月市周辺であるということが、大正時代に広く認識されていたのがわかりますよね。
大月市に伝わる桃太郎伝説を追ってみると、「桃太郎は山梨県大月市の物語なのかも…」と確信したくなる証拠がいろいろと見られました。
そして戦国時代の古城跡、日本三奇橋の一つなど観光の見所も。それに大月市は「富士の眺めが日本一美しい街」とPRしているんですよ。確かに天気が良い日は息をのむほど美しい。
最後に、箕田さんに「桃太郎はどんな存在ですか?」と聞いてみると、「子供のころから今も変わらずヒーローであり、大月市の象徴かな」と答えてくれました。
そういえば、私も子供のころに祖父が枕元で「むかしむかし…」と寝かしつけてくれたのも桃太郎だったのを覚えています。多くの日本人の心の中にいるヒーローはやっぱり桃太郎なのかもしれない。その伝承地として注目を集めている大月市を巡ってみてはどうでしょうか。
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