人口が最も多い都道府県と言えば東京都。現代人からすれば当たり前の話です。しかし、明治時代の最初は、道府県別の人口もかなり今と違っていました。
そこで今回は、明治維新後の日本の国勢過程を、膨大な統計データと共にまとめた資料『明治大正国勢総覧』(東洋経済新報社)から、かつての日本の姿を紹介します。
150年前の人口は4分の1程度
総務省統計局によると現在(2024年8月の概算値)、日本の総人口は1億2385万人(日本人人口は 1億2079万人)となっています。前年の同月に比べて59万人も減少しているように人口が右肩下がりの現在。しかし昔は、もっと少なかったようです。
例えば、今から100年前の1924(大正13)年の人口は『明治大正国勢総覧』によると約6108万人(日本人人口)です。ほぼ、半分ですね。逆に言えば、100年かけて日本人は倍増したとも言えます。さらに50年さかのぼって1874(明治7)年の人口を見ると3362万人(日本人人口)程度だと分かります。
この当時の人口は、数年前に始まった戸籍法に基づく戸籍地で計算しています。要するに、正確性に欠ける情報ではあるのですが、日本人の人口が4分の1程度だった、そんな時代もわずか150年前には存在するのですね。
東京よりも人口の多いエリアが存在した
150年近く前は、人の数が違うだけではありません。人がどこに暮らしていたか(正確には戸籍上で、人がどこに登録されているか)もかなり違った様子。
今でこそ、人口の多いエリアと言えば、東京圏(東京都とその周縁にある埼玉・神奈川・千葉)と誰もが知っているはずです。
日本の総人口1億2385万のうち、住民基本台帳による東京都の人口総数は1391万人です。さらに東京は今も、人口増減率でプラスになっています。
日本全体の人口が減り続ける局面でもなお、流入する人の数が多く(死亡者数が少ない)ため、今のところ東京都は人口が増えているわけです。
しかし、明治維新と共に日本が開国してから、この状況がずっと続いていたわけではありません。東京以外で、東京よりも人口の多いエリアが存在した時期は、明治時代の中ごろまで案外続いていました。