色とりどりのバルーンで舞い上がれ!震災5年、幸せの荒浜よ再び

避難所にいても自分にできることを

HOPE FOR PROJECTを中心となって行っているのは、荒浜のすぐ側の地区で生まれ育った高山智行さんです。

荒浜は海のある小さな町ですが、もともと仙台市唯一の海水浴場があり、年間4万人が足を運ぶ場所でした。地元の人々が駐車場や海の家を運営したり、個人で経営する小さなお店があったり。魚を取って農家さんの野菜と交換するなど、おすそわけの文化も根付いた、小さいながらも住民同士が支え合っている地域だったそうです。

「震災が起こったときは、仕事から家に戻って母と祖父の無事を確認したんですが、まさか津波がくるとは思っていなかったので、ガソリンを買いに海の方へ向かいました。そしたら、海沿いの田んぼを津波が走ってきたので、急いでUターンして家に戻り、祖父と母親を連れて津波に追いかけられながら逃げました。多分、その地区で最後に逃げたのが僕だったと思います」。

家も津波の被害を受けたため、避難所で過ごしていた高山さんは、自分に何かできることはないか探したといいます。避難所にいると、誰が無事だったか確認することはできるけれど、もしご家族や友人が県外に住んでいた場合、安否情報を得られず不安なのではないかと考えた高山さん。ひとまずtwitterで、「◯◯避難所にいます。ここにいそうな人であれば探します」とつぶやいたそう。一晩明けて次の日の朝起きてみると、ものすごい数の「◯◯を探してください」というリプライが届いていました。なんとなくつぶやいたことだったけれど、そのリプライを見て「書いた以上やろう」と覚悟を決めて探し始めたそうです。

「最初は若者が何してるんだという感じで相手にされなかったけど、コツコツ続けていたら認めて協力してくれる人が増えてきたんです。最初は無事でしたといういい報告ができていたけれど、二週間経つとそれもできなくなってきて。遺体安置所に行って自分の目で確かめたりもしていましたが、ツイッターの140文字でそれを伝えていいのかは相当悩みました」。

高山さんは避難所が解散してからは、荒浜のために何かしたいとは思っていたもののできることはあまりない状態だったので、同級生と協力して、道端に落ちている写真を洗浄して行政に届ける活動を続けていました。


みんなが思いをはせる場所を

2011年のクリスマス前に、お子さんを亡くした同級生が「あの子、緑色のものが好きだったんだよね」と話してくれたことをきっかけに、震災から1年目の3月11日に緑色の風船を飛ばすことを思いついた高山さん。緑色のみで売っている風船がなかなか見つからなかったため、せっかくなら色とりどりの風船に花の種を入れて飛ばそうということになったのだそうです。

「同級生だけで200個だけ飛ばそうと思っていたんですが、2012年3月11日には、荒浜に慰霊のため1,700人が足を運んでいたんです。風船在庫が700個あったので膨らませて、海辺でお祈りして慰霊しているひとたちに声をかけたら、『飛ばして帰ろう』と言ってくれました」。

色とりどりの風船を空にリリースをしたときには、風船に向かって手をあわせる人がいたり、「◯◯ちゃんにバイバイ言おうね」と声を掛け合っている親子もいました。

「たかが風船が飛んだだけだけど、無機質で周りも色がない海岸に、綺麗な色が映えたのを見ていろんなことがフラッシュバックしました。みんなで涙を流しながら、思いをはせる場所もなければそんな時間もなかったんだなって気づきました。その時はまだ荒浜に足を運べないひともいたかもしれないけど、もしこれを毎年続けていったら、みんなが足を運ぶきっかけになるんじゃないかなと思ったんです」。

当日は、震災直後に高山さんがtwitterを通して安否報告をした人も荒浜に来てくれて、「あれがなかったら、何も私たちは知ることはできなかった。ありがとうございます」と伝えてくれたのだそう。様々な人からの感謝や応援の声、仲間たちの協力を受けて、高山さんは毎年風船リリースを続けています。

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