観光客には教えたくない、台湾の隠れスポット 「十三層遺跡」
今回は、台北近郊の見てビックリなインスタ映えする隠れスポットをご紹介いたします!
さて台湾旅行といえばグルメに観光ですが、なかでも有名な観光地が「九份」(キュウフン、ジョウフン)ですよね?
宮崎映画『千と千尋の神隠し』の湯屋のモデルになったというあの石段や、お土産屋さんが沢山並ぶ、くねくねと続く細い路地と赤提灯、茶藝館でいただく台湾茶などが有名です。
単なる寒村だったというこの地域は、19世紀末に金の採掘がおこなわれるようになってから街が発展、日本統治時代には金採掘の最盛期を迎えて、街全体が「ゴールドラッシュ」に沸いていたそうです。
しかし、第二次大戦後に採掘量が激減し、1971年には金鉱山が閉山。人々の記憶から忘れ去られました。
1989年に台湾映画『悲情城市』(侯孝賢監督)でロケ地に使われてから再び脚光を浴びるようになり、その後、土産店や茶藝館もできて多くの観光客が訪れるようになったことは、皆様ご存知の通り。
そんな九份も2回訪れると、3回以降は周辺の違う観光スポットに行って見たくなるのが台湾好きの性。
中には、九份の中にある民宿に泊まったり、近くの「黄金博物館」へ足を運んだという九份マニアの方も、多いのではないでしょうか?
しかし、よくある観光ガイド本や観光Webサイトと同じことをしないのが、このメルマガ「レレレの台湾」。今回は、九份から山を降りたところにある隠れスポットをご紹介しましょう。
私は、台湾に住む前に九份へ3回、住んでからも5回は行ったので、普通のコースには飽き始めていました。日本人だらけだし。
そこで2014年初夏、この九份の山を降りて「水南洞(なんの字は、サンズイに南)」というエリアへ向かって見ることに。
当初、このエリアへは「黄金瀑布」という金色(実際には黄土色)に染まった岩を流れる滝や、そこから流れた水によって海の色が黄金(黄土色)と青色が混じる奇景「陰陽海」という海岸へ行くことが目的でした。
いつもの九份観光地を抜けて、私が目指すのは1062番のバスで終点の「金瓜石」。金鉱山だった頃の資料や模型が展示されている「黄金博物館」へはこちらで。ここから、海へ向かって山を降りました。
険しい崖を横に見ながら、緩やかに蛇行する舗装道路を延々と歩いて行くと、ようやく目的の「黄金瀑布」に到着。
ここは観光地として割とメジャーなため、私が訪れた時も多くの観光客が記念撮影をしていました。とはいえ、日本人は皆無で台湾の方ばかりでしたけど。でも、今回のメインはこれじゃ無いと、この時は知る由もありませんでした。
黄金の滝に別れを告げ、海に向かってしばし山を降りていくと、横を流れている「黄金色(黄土色)」の川があることに気づきます。
先ほどから出てくるこの黄金色、金採掘のために掘った土の中の鉱物が酸化したものだそうで、このように世にも奇妙な景観を生み出しました。すると、川に沿って歩いている途中、小高い丘の上に不思議な三つの影が。何かと思って近づいてみると。。。
なんとも絵になる古い給水塔が朽ちた姿のまま3つも並んでいたのです。今風に云うと「インスタ映え」する風景とでも言いましょうか。
まるで九份の石段同様に、宮崎駿監督の世界を思わせますね、『天空の城ラピュタ』とか。それもそのはず、この給水塔があるエリアの「十三層遺跡(十三層遺址)」は、まさに現地の人たちから「天空之城」と呼ばれているんです。さて、何やら廃屋的な雰囲気の建物が現れましたね。
それでは、山を降った場所から降りてきた山の方を見上げてみましょう。ご覧ください。この風景、まさに天空の城と呼ばれるにふさわしいじゃありませんか!
ここは、日本統治時代の1933年に日本人によって建てられた、金鉱山の精錬所だった「水南洞選煉廠」跡。つまり鉱山廃墟です。しかし、その姿はどう見ても要塞か城跡にしか見えませんね。先ほどの三連給水塔といい、まさに空想の世界にある天空の城といった雰囲気です。
私は、こんな建物があるとはつゆしらず、しばらくぼう然と立ち尽くしてしまいました。。。当初の目的だった、海の色が黄金と青色に混じる「陰陽海」の奇妙さも吹き飛んでしまいました。一応、ご紹介しておきますね、これが黄金と青色の混じる海の姿です。
さて、今回ご紹介した「十三層遺跡」について少しご説明いたします。
1890年に鉄道橋工事のとき偶然発見された砂金をきっかけに、九份や金瓜石で金鉱が発見されました。
その後、1895年に日本が台湾の統治者になると、明治の実業家だった田中長兵衛の田中組が採掘権を与えられ、のちに金だけでなく銀や銅も産出できることが判明して大きく発展していきます。
しかし、第一次世界大戦後の不況で田中組は水湳洞の銅製錬所を1923年に閉鎖。
1925年には新興実業家の後宮信太郎の金瓜石鉱山株式会社に経営権が継承されました。
1933年、久原房之助の日本鉱業が後宮信太郎から金瓜石鉱山を買収。
この年、のちに「十三層遺跡」と呼ばれる精錬所の建物が完成します。
以前はこの段々が18層分あったらしいのですが、廃墟となって現在は最上部のみが原型を留めている状態です。
当時は、金、銀、銅の採取・選別・冶金・精錬のすべてをここで行っていた一大製錬所だったとのこと。
1935年には1年に粗鉱量100万tを処理する「東洋一の大鉱山」として、その名を轟かせました。
最盛期を迎えた金瓜石は住民15,000人を数えましたが、日本鉱業が同地域の地下をくまなく掘り尽くしたため、太平洋戦争末期には鉱山の業績は下がり始め、ついに1943年には金の生産を中止。翌1944年には銅の生産も中止しました。
戦後、日本が台湾から撤退した後も、中華民国政府が金瓜石を没収して1955年に鉱山の操業を復活。
しかし、次第に鉱脈は尽きて1985年に廃業を決定し、1987年に閉山しました。
現在、この「十三層遺跡」周辺はもちろん立ち入り禁止です。中には立ち入らないでくださいね。
↓インスタグラムには現地の方々がインスタ映えする素敵な写真をUPしていますよ。中には侵入している写真もありますが。。。
さて、このスポットへの行き方ですが、タクシーに頼んで行ってもらうのが無難です。バスの本数が少ないですからね。
台北から九份へ行くのに、台湾鐵道「瑞芳(ルイファン)駅」からバスを利用される方も多いかと思いますが、今回ご紹介した場所へは、瑞芳駅前からタクシーを使った方が便利ですよ。
すでに周遊コースを設定しているタクシーも多いらしく、瑞芳の駅前では、
瑞芳車站→南雅奇岩→十三層遺跡→黄金瀑布→九份老街 1000元(金額はあくまで一例)
みたいな書かれたボードを掲げているタクシーも多いようです。
世界遺産登録へ向けた動きもあるとのことで、登録されたらメジャー観光地になってしまいますので、九份のように日本人だらけになってしまう前に、ぜひ行って見てくださいね! あ、もう一度。建物の中は立ち入り禁止ですよ!
image by: 小 籠包
※本記事はMAG2 NEWSで掲載された記事です