被災した「サバ缶」を洗って売ろう。石巻の缶詰工場を支援した東京の商店街

言葉にならないスピーチが被災地の過酷な状況をリアルに伝えた

そうして須田さんの熱意は北海道から沖縄まで全国へと広がり、2011年末までに22万缶を販売。木の屋石巻水産は存続の危機を乗り越え、2015年9月末、震災から約4年半で震災前の売り上げを復活。再興に至ったのです。

それにしても「缶詰がおいしかった」という理由だけで、なぜそこまでやれたのでしょう。

「震災が起きた3月に、木の屋石巻水産の社長さんが経堂へやってきてスピーチをしてくれました。もともとは震災が起きる前から決まっていた、経堂と石巻をつなぐ楽しいパーティになるはずだったんです。しかし、いつもは明るい社長さんがマイクを前に涙ぐみ、絶句してしまった。廃業を覚悟されていたのです。言葉にならない社長さんを見て、改めて被災地での暮らしの厳しさが伝わってきました。それを観て僕たちは、『これはなんとかしなければならない』とスイッチが入ってしまった。あの熱量は、一種の集団心理もあったと思います。同じことを『もう一度やれ』と言われたら、できないかもしれないですね」

▲2011年3月27日に「さばのゆ」で行われた木の屋石巻水産の応援イベント。マイクを持ったまま話せなくなる社長の姿が、改めて被災地の過酷な状況を物語った

「日頃のつきあい」に勝る街づくりの方法はない

人々の手によって洗われたサバの缶詰は、いつしか「希望の缶詰」と呼ばれ、たとえば北海道の男性から「娘の結婚式の引き出物にしたいから200缶ほしい」と依頼されるなど、ほうぼうへと買い取られてゆきました。

汚濁した缶詰の洗浄と販売の輪は次第に全国へと広がってゆき、缶にメッセージを添えるなど、いつしか「希望の缶詰」と呼ばれるようになっていった
「希望の缶詰」の実話は絵本にもなった

須田さんは「スイッチが入った」日々をかえりみて、こう云います。

「なにかをしてあげたなんていう気持ちはまったくありません。むしろ希望をもらったのは僕たちの方でした。そして、なによりも『日頃のつきあい』、それが一番大事なんだということを痛感しましたね。住民と個人商店が結びつき、ご近所づきあいがある経堂だから手を取り合えたのかもしれません」

「街の人どうしが日頃のつきあいを大切にしてきたからこそ、困っている人たちのために力になることができた」と須田さんは語る

悲惨な出来事ではありましたが、缶詰を開けるように、人の心をも開かせていった須田さんの活動。「蘇るサバ缶 震災と希望と人情商店街」は感動を呼びおこす本であるとともに、これからのコミュニティの在り方を示唆する「新時代のコミュニティデザイン論」としても読むことができる。そんなふうに思いました。

蘇るサバ缶 震災と希望と人情商店街(廣済堂出版)
著者 須田泰成
企画・プロデュース・編集 石黒謙吾
定価 本体1,300円+税

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