逆境こそチャンス。「ウェスティン」繁栄の礎を築いたホテルマンたち

20世紀における最も偉大なビジネスリーダー

ウエスタン・ホテルズ創設から16年を経た1946年のある日、社長のサーストンは一人の男の履歴書に目を通していた。

「エディー、君がレーニア・クラブ(シアトルにある高級メンバーシップクラブ)で素晴らしい仕事をしていたことは聞いている。戦争から戻ったら、レーニア・クラブのメンバーになる資格まで与えられたそうだね。素晴らしい! それ以前にも、シアトルのルーズベルトホテルとマウントバーモンのプレジデントホテルで働いていたことがあるんだね」

机を隔てて座っていた男は頷いた。

「学生時代、学費をつくるために、ベンジャミン・フランクリン・ホテルで働いたこともあります。残念ながら、十分な資金がつくれず、大学は中退することになりましたが」

「ワシントン大学を中退しなければならなかったとは、残念なことだったね」

「学歴は社会で役立つものと思っています。ですから、なんとしても卒業したかったのですが、諦めました。しかし、船乗りとして他国を回ることができ、そこで得たものはあったと思っています」

「ほう、どの都市にいったのかね?」

そう言いながら、サーストンはメガネを外した。

「横浜、神戸、上海、香港、マニラ、ホノルル、サンフランシスコ、ロスアンゼルスを巡ってきました」

「なるほど。それは貴重な体験だ。そこでもホテルを見てきたんだろう?」

エディーは頷いた。

「戦争中、君が海軍の副指揮官として働いた経験も面白い。きっと今までにないアイデアを導入してくれると思う。私は、君の能力とその経験を貸りたいんだ。どうだろう、私の片腕として働いてくれないだろうか。このウエスタン・ホテルズのために」

サーストンは身を乗り出して握手を求めた。

「私でよければ、喜んでお受けいたします」

エディーはサーストンの手を握った。

かくしてサーストン社長の右腕となったエドワード・エルマー・カールソンは、その年のうちに“バイス・プレジデント”の肩書を与えられ、1953年にエグゼクティブ・バイス・プレジデント、1961年にはプレジデント、そして1962年にはCEOにまで昇進した。

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