逆境こそチャンス。「ウェスティン」繁栄の礎を築いたホテルマンたち
エキスポ誘致の偉業
エディーは妻のネルとドイツのシュトゥットガルトを旅していた。
地上150メートル以上のところにあるレストランで食事をしながら、言葉では表現できないほど綺麗な景色に酔っていた。広大な森の中にレンガ色をした小さな家が無数にたち並んでいる。周囲に高い建物はなく、広大な面積を覆う森と丘が果てしなく続いていた。
「数年前に完成したばかりの世界初の鉄筋コンクリート造りのテレビ塔だ。こんなに細いと、風が吹くときは、揺れるんじゃないかなあ。倒れないといいが」
「こんな素晴らしい景色を見られるのなら、怖くてもいいわ」
「それもそうだ。この眺めには魅了される。中世の街がそのまま残っている様子が美しい。アメリカにはこんな景色はないなあ」
「エンパイアステートビルからの眺めも素敵だったけど、私はこちらのほうが好きだわ」
2人は景色に圧倒されて食事が進まない。
「でも、ここで食事をするには、エレベーターに乗るためのお金を払わなければならない。そして、せっかくお金を払ってきても、席がすくなくて、待たなくてはならない。私だったら、もっと大きなレストランを用意するねえ。こんな具合に」
エディーは胸のポケットからペンを取り出し、ナプキンに簡単なデッサンを画いた。
「これはなに?」
ネルは彼が書いた円盤のような形をした部分を指さした。
「この円盤はソーサー(受け皿)だ」
「フフフ、シアトルにこんな建物ができたら、大勢の人が喜ぶでしょうね」
それまで笑顔だったエディーの顔が急に真剣な表情になった。
「どうしたの?」
「これだよ、これ。このビルをエキスポ会場に建てるんだよ!」
「ええっ、まさか! そんなの無理でしょ? 建築家でもないあなたが」
「本気だよ。ビジネスには、不可能と思ってあきらめるより、ベンチャー精神を持って挑むことが大切だからね。挑戦してみる」
エディーはナプキンの下に、“スペース・ニードル”と書いた
ウエスタン・ホテルズのプレジデントとして働く一方、エディーはシアトルにエキスポを誘致する委員会の議長としての任務も担っていた。
エキスポが開催されれば、シアトルは全米有数の有名都市に変貌を遂げる。これほどシアトルに、またシアトルに暮らす人々と企業に貢献できることはない。エディーは全力を傾けてエキスポ開催委員会から次期エキスポ開催地としての承認を得ようとしていた。
時は米ソ冷戦の時代。1957年にソ連がロケット“スプートニック”の打ち上げに成功すると、「宇宙開発でアメリカはソ連に遅れを取っている」という焦りが世間に広がって行った。
そのため、この時期に開催されるエキスポは“宇宙科学の進化&発展”を全面的に押し出す内容でなければならなかった。エディーが提案した建物は宇宙都市を連想させる“スペース・ニードル”と名づけられ、エキスポ開催に向けて建設が始まった。
彼の努力は実り、ついに1962年4月21日から10月21日までの間、シアトルでエキスポが開催された。過去のエキスポとは異なり、利益を生んだ初のエキスポとなり、来場者数は1千万を超えた。
エキスポをシアトルに誘致し成功に導いた功労者として、またシアトルのシンボルとなったスペース・ニードルの発案者として、エドワード・エルマー・カールソンの名は広く知れ渡ることになった。さらにハーバードビジネススクールが“20世紀における最も偉大なビジネスリーダー”と彼を称するようになる偉業達成の瞬間がやって来ようとしていた。
ニューヨークへの序曲
オフィスを去ろうとしていたサリーが、ドアノブに手をかけたところで振り向いた。
「ニューヨークのプラザホテルは絶対に買ってくださいね」
「えっ? あのホテルに特別な思い出でもあるのかい?」
「映画“追憶”の最後のシーンが撮影された憧れのホテルです。一度でいいから、泊まってみたいです」
エディーの口元がほころんだ。
「大丈夫だ。もうすぐのところまで来ている。君のためにも頑張るよ」
(つづく)