逆境こそチャンス。「ウェスティン」繁栄の礎を築いたホテルマンたち
ホテルを救済する役割
その日、サーストン、デユーパー、二人のシュミット、そして、サーストンの長年のパートナーであるハロルド・マルトビーら、ウエスタンホテルズの幹部5人が集まっていた。オレゴン州ポートランドにある500室の高級ホテル“マルトノマホテル”の再建について話しあうためだった。
「毎月、20,000ドルの赤字を生んでいるよ。このホテルに手を付けるのは相当な危険が伴う。なにより、我々がこのホテルを買い上げなくてはならないというのだから……」
マルトビーが首をひねる。
「我々のシステムに入れば、再建できるのではないだろうか?」
ピーター・シュミットがそう言うのに対し、
「このホテルを再建できたら、我々のマネージメントシステムが比類なき力を持っているということを証明できる」
と、サーストンはこぶしを握り締めた。
「賭けになるな」
そう言いながら、デユーパーは腕を組んで目を閉じた。
しばらく会話がとまった。皆も目を閉じて考えに没頭した。最初に口を開いたのは社長のサーストンだった。
「どうだろう。賭けをしてみては? 我々のシステムならば再生できる。それは過去の実績が示している。この一流ホテルを私たちが買い上げ、再建させることができれば、とても大きなPRになる」
3人はうなずいた。だが、マルトビーだけは目を閉じて腕を組んでいる。
「ハロルド、気が向かないか?」
サーストンが問う。
20年以上の付き合いだから、サーストンにはマルトビーの気持ちがわかる。コツコツ派の彼は賭けを嫌う。だが、4人がやりたいと言っているときに一人“嫌だ”とは言えるほどの度胸もない。しばらくして、ハロルドは目を開けた。
「わかった。今回だけは賭けてみよう」
翌日から「赤字で沈みかけているホテルを買い上げ、再生を図る」という、ウエスタン・ホテルズの新たな挑戦が始まった。
まずはロビーとゲストルームを改装して、イメージを一新。ウエスタンホテルズのマネージメントシステムを導入し、経費削減と相互PRを行った。その結果、マルトノマホテルはわずか90日にして黒字に転換。サーストンが予想したように、その実績は高い評価を受け、「ウエスタンホテルズに任せれば、グレート・ディプレッションのような不況が来てもつぶれない」という声まで挙がった。
その後、彼らは傾きかけたホテルを短期的にマネージメントし、軌道に乗せたところで契約を終えるという、いわば“ホテル救済をする組織”としての役割を担うようになって行く。実際、スタート当初の18ホテルのうち6ホテルまでが、10年後にはウエスタン・ホテルズとの契約を切り、独自で運営を行うようになっていた。
ウエスタンホテルズの力を求めるホテルは増え、彼らは揺るぎない地位を確立することに成功する。だが10年を経ても、米国内ではアイダホ、オレゴン、アラスカ以外、彼らがマネージメントするホテルはワシントン州に固まっていた。“テリトリーを拡大したい”そう願うようになっていた彼らに、チャンスが訪れたのは1941年のことだった。