逆境こそチャンス。「ウェスティン」繁栄の礎を築いたホテルマンたち
ウエスティンホテル・インNY
ウェスティン・ホテルズがプラザホテルを25ミリオンダラーで購入した翌年の1976年、ドナルド・トランプ氏はウェスティン・ホテルズにアプローチをかけ始めました。
「プラザホテルを25ミリオンダラーで売って欲しいんです」
対応したのは、当時のプラザホテルの総支配人フィリップ・フューズ氏。
「25ミリオンダラーなら、昨年、弊社が購入した金額と同じです」
「それなら、50ミリオンダラーでどうでしょう?」
フィリップ・フューズ氏はシアトルの本社に電話をかけ顧問弁護士と話をします。
「ドナルド・トランプ氏が50ミリオンダラーでプラザホテルを売って欲しいと言ってきました」
「プラザホテルを売るつもりはないと、お断りしてください」
「承知いたしました」
「ところで、ドナルド・トランプって誰ですか?」
「近頃、ニューヨークで名を上げてきた不動産業者です」
フィリップ・フューズ氏はトランプ氏のオファーを断りましたが、トランプ氏はあきらめませんでした。
「子供のころ両親に連れられて、パームコートに食事に来たのが最初でした。不動産業を継いだなら、このホテルを買おうと決めていたんです。だから簡単にあきらめるわけにはいかないのです。一体いくらなら売ってくれるんです?」
困り果てたフューズ氏が出した答えは「100ミリオンダラーならば、再度、話をしてみます」というものでした。いくら欲しくても、100ミリオンダラーを出すことは、当時のトランプ氏にはできません。それでも、彼は数週間に1回の割合で、フューズ氏に連絡をし続け、食事を共にしたといいます。
1985年9月22日、プラザホテルで「プラザ合意」が行われると、日本はバブル経済へと突入。1988年には竹下登大蔵大臣の秘書だった青木宏悦氏率いる青木建設が、ウエスティン・ホテルズを約1750億円で買収します。その際に、トランプ氏にウエスティン・ホテルズ側からオファーが入りました。
「プラザホテルを415ミリオンダラーで買いませんか?」
最初のアプローチから12年。その間、トランプ氏は力をつけていました。
「415ミリオンダラーで買いましょう!」
利回りはほどんどなかったでしょう。しかし、トランプ氏はこう言いました。
「儲けにならない不動産を買ったのは初めてだ。だが、私はホテルを買ったわけではない。“モナリザ”に等しい芸術品を買ったんだ」
子供のころから欲しかった物がようやく手に入るチャンスが巡ってきたのです。その時の彼にとっては、利益など、どうでもよかったのでしょう。
プラザホテルを失えば、ウェスティン・ホテルズはニューヨークでホテルを失います。一流ホテルチェーンがニューヨークにホテルを持っていないのでは、さまになりません。今度はウエスティン・ホテルズが「マネージメント契約をお願いしたい」とトランプ氏に依頼をする立場になりました。
もちろん、トランプ氏がそれを受けるはずもありません。しかし「マネージメント委託はできませんが、マーケティング契約はしましょう」と、トランプ氏が大枚をはたいて雇ったマーケティングの責任者が提案したため、結局、1995年にトランプ氏がプラザホテルを失うまで、プラザホテルとウエスティンホテルズとのマーケテイング契約は続いたのでした。
1995年、不況に揺さぶられ、高すぎた買い物だったプラザホテルは銀行管理下となり、トランプ氏は莫大な損失とともに、プラザホテルを失います。そして、フェアモント・ホテルズが運営するホテルとなったとき、ウェスティン・ホテルズもニューヨークでの経営基盤を失いました。
さらに、日本のバブル経済崩壊とともに、ウェスティン・ホテルズ自体もスターウッドに売られ、スターウッドホテルズのブランドの一つとして存続するようになりました。この時点で、ウェスティン・ホテルズというホテルマネージメント会社は消滅したのです。
その後、スターウッドホテルズが、ティシュマン・リアルティー・アンド・コンストラクション・カンパニー保有の新築ホテルを“ウェスティン・ホテル・タイムズスクエア”の名称で運営することが決まり、2002年にオープンいたしました。
8アベニューと42ストリートのコーナーに建てられたそのホテルは、47階建て。8000枚にも及ぶカラフルなガラス板をはめ込んで作られた外観は、朝、昼、夕と色を変えていきます。その美しさは “サンバ・デ・ブロード・ウエイ”と称され、タイムズスクエアの艶やかさを盛り上げる最高のアクセントの一つとなりました。オープンしてから16年、依然として、その存在を抜く建物は現れません。
ニューヨークに行った際には、是非、ウェスティン・ホテル・タイムズスクエアの外観を見ていただきたいと思います。人々にサービスを提供するだけでなく、ホテルが地域に貢献している姿が見えてくることでしょう。
文・撮影/ケニー奥谷
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