坂のある町ってなんだか旅情を誘いますよね。さらに石畳があったり、石垣があったり、石段があったり、歴史を感じさせてくれる町なみが広がっていたりすると、なおさら心が躍りますが、そんな条件を満たしてくれる町が、富山県にはあります。越中おわら 風の盆でも有名な八尾(やつお)ですね。そこで今回は北陸に在住し、繰り返し八尾にも足を運んでいる筆者が、同地の魅力を紹介したいと思います。
聞名寺の門前町として発展した歴史を持つ美しい坂の町
そもそも八尾とは、どういった町なのでしょうか。周辺の地形地域区分図を見ると、八尾丘陵と言われる海抜300m以下の丘陵地帯(新第三系)が扇状地に面して盛り上がっていて、その丘陵に沿うように井田川という神通川の支流が流れています。井田川の流れが河原を階段状に掘り下げて河岸段丘を作り、その河岸段丘に浄土真宗本願寺派(お西)の聞名寺が、
<越後上杉勢の来襲に備え、天文二十年(1551)、三方を崖に囲まれた旧い砦の址、「八尾前山」(現在地)に>(門名寺のホームページより引用)
飛騨から移ってきたところから、町の歴史が始まります。
八幡社という現存する神社も、境内の由緒書きによれば1567年に社殿が、聞名寺の近くに建ったと言います。その聞名寺、八幡社の門前町として町が発展していったのですね。
江戸時代に入ると、同地を支配していた加賀藩藩主によって商業活動が認められ、富山藩の支配下に入ると、富山の売薬の包装袋用に和紙の生産が盛んになります。江戸中期には蚕の卵を販売する蚕種(さんしゅ)業も起こります。
八尾という地名の由来は、
<多くの山の尾根末が集まる地の意、従って多くの渓流が集まるところであり、各谷々、村々への道が八方に通ずるところから、名づけられた>(『角川日本地名大辞典』より引用)
とあります。引用文にもあるように、八尾は飛騨山地と富山平野を結ぶ交通の要所でもあり、江戸から明治には絶頂期を迎えました。その後、大正、昭和と時代の移り変わりとともに町の活気は失われ、その衰退は平成が終わろうとしている現在も食い止められているとは言えません。
しかし、その間にも八尾文化会議が八尾の内外の人たちによって開催され、『坂のまちアートinやつお』も2018年で22回目を迎えるなど、さまざまな取り組みが行われてきました。さらに近年では、八尾の伝統的な建物を使って飲食店や宿泊施設を提供する『越中八尾ベースOYATSU』など、移住者、若い世代の活躍も目立ってきています。
日常の八尾を歩いてみると、そうした地元の人々の高い志によって支えられた往時の趣が町のそこかしこに残っていると分かります。また、河岸段丘に発展した門前町には、心が躍る高低差や段差が点在し、その景観の変化が古い町並みと一体となって、散策に特別な面白さをもたらしてくれるのですね。
さらに八尾には、人間を感覚的に喜ばせる都市の空間要素の1つ、エッジまであります。エッジとは地形や地域の境界、『ブラタモリ』(NHK)でもタモリさんが愛してやまないと公言する「縁(へり)」ですね。上述したように八尾は、丘陵地帯が井田川と触れ合う河岸段丘に発展した門前町でした。いわば町そのものがエッジでできています。また、昔ながらの日本の町割りらしく、丁字路や鍵状路も当たり前のように残っています。
詳細は後述しますが、八尾と言えば毎年9月1~3日にかけて開かれる越中おわら 風の盆のにぎわいが全国的に有名です。しかし、祭の期間は正直に言って混雑が激しく、落ち着いて町の美しさを堪能する余裕はありません。日常の町歩きこそ最も八尾の魅力を満喫できる機会だと筆者は考えます。交通機関も混雑しませんから、まずは風の盆以外の日程で、ゆっくりと八尾を訪れてみたいですね。
3日間で20万人以上が訪れる越中八尾 おわら風の盆の魅力は?
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