北陸新幹線が開業してから、ますます観光都市として人気の金沢。人気の観光地や観光施設はある程度決まっていて、兼六園や金沢21世紀美術館などがありますが、いま人気を集めている「妙立(みょうりゅう)寺」はご存じですか?
ここはお寺の正式な名称よりも、商標登録もされている通称の方が有名かもしれません。それが一般にいう「忍者寺」ですね。今回は観光客が年間23万人近く訪れるこの人気スポット「忍者寺」を紹介します。
「人呼んで忍者寺」
冒頭でも紹介したように、金沢にある人気の観光スポット「忍者寺」は通称です。「忍者寺」の付近にある電信柱に張り出された看板にも「人呼んで忍者寺」などと書かれていますから、あくまでも「人呼んで」なのですね。
工業所有権情報・研修館の特許情報プラットフォームによると、商標「忍者寺」は出願が1984年12月17日とあります。少なくともいまから30年以上前から、通り名として「忍者寺」という呼称が存在していた様子が分かりますが、どうして妙立寺は「忍者寺」と呼ばれるのでしょうか?
その理由は、忍者が扱う奇術や忍びのイメージと、妙立寺のイメージに重なり合う部分が多いから。決して忍者が本拠地にしていたわけではなく、あくまでもトリッキーな仕掛けが随所に施された建築構造が忍者を連想させるため、「忍者寺」と呼ばれているのです。
2階建てに見えるお寺に4階建て7層の空間が隠されている
「忍者寺」の特徴は、上述したようにその建築構造にあります。弥生時代の高床式の倉を思わせる縁の下のある寺院で、向拝のある方形屋根の頂点に、明かり取りのような突端が見えるだけの普通の外観です。「一見すると2階建て」などと言われていますし、公式のパンフレットにも、
<外観は二階建てだが>(妙立寺のパンフレットより引用)
とありますが、無知な筆者の目には2階建ての建物にすら見えません。しかし、驚きはその「平凡な」寺院の内部に、4階建て7層の空間が確保されていて、23の部屋と、29カ所の階段が設けられている点です。
しかも単に階数や部屋数が多く確保されているだけでなく、隠し階段、落とし穴、脱出のための横穴を設けた井戸などが随所に散りばめられていて、まだ戦国時代の息遣いが残る江戸時代初期のピリついた時代を、肌で感じさせてくれるます。
金沢はお隣の富山と違って、第2次世界大戦末期に空襲を受けていません。そのため江戸時代の建物や町割りが多く残っており、妙立寺も1643年に移築建立された当時の姿を残しています。言い換えれば、徳川将軍家に次ぐ大藩の加賀藩が、徳川家との戦争を想定して作った妙立寺にこそ、当時の各藩の緊張関係が分かりやすく読み取れるのです。
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