全国に旅行に出かけると、決まってお城やお城の跡があります。それらはたいてい必見の観光スポットとして扱われていますよね。しかしお城はどれも一緒に見えて、何が魅力なのか、どう楽しんでいいのかピンとこないという人も多いのではないでしょうか?
分かりやすく天守閣があるお城であっても、何となく城内を巡って、最後は眺めのいい景色を見て終わりという人がほとんどかもしれません。でもそれってとてももったいないことなのです。
そこで今回は今よりもほんのちょっとだけお城を楽しむポイントをご紹介していきたいと思います。できるだけお城の奥深い世界には深入りせず、最小限の知識でお城を今よりもちょっと深く見るコツをご紹介します。週末旅行で各地のお城を訪れようと思う方はぜひともチェックしてみてくださいね。
1.お城の「最終形態」天守閣のあるお城に絞って鑑賞を始めてみる
お城というと、天守閣のあるお城をイメージしますよね。しかし、天守閣が生まれた時期は1576年。あの織田信長が安土城に天守閣を作った瞬間になります。
「城」という漢字を『漢字源』(学研)で調べても分かります。城の語源は、土を盛ってとんとんとたたき、固めて防壁を作るといった意味にすぎません。防壁の中に住民全体をまとめた場所を城と呼ぶのですね。
歴史をさかのぼると、弥生時代の環濠(かんごう)または環壕集落なども城の始まりと考えられるそう。大宰府の古代山城、鎌倉時代の切通し、元寇防塁もお城の一種です。
ただ、その手のお城までカバーしようとすると、覚えるべき知識が増えて大変……。その意味では、お城が歴史とともに進化・発展を遂げ、「最終形態」とも言える状態に達した天守閣のあるお城を「お城」と考えるようにして、見方を学びたいですね。
2.現存、それとも再建?天守閣の歴史を振り返ってみる
お城を楽しむ上で、最初にチェックしておきたいポイントは、お城のシンボルである天守閣です。築城された当初からの状態で現存しているのか、再建されたのか(注1)、模擬的に作られたのか、その歴史をチェックしたいですね。
大まかな歴史を見ると、最盛期である南北朝~戦国時代には3~4万も存在していたというお城。しかし、織田信長の登場とともに破城が行われ、その数は一気に数千に減ります。豊臣秀吉の時代にもお城の数は減り、徳川家康の時代に一国一城令が出されて、その数は175ほどに減ってしまったのだとか。
さらに明治維新後には前時代の象徴であるお城の廃城令が1873年に出され、天守を持つ城の数は60ほどに減ります。明治、大正、昭和と時代の流れでその数は20程度まで減り、1945年に第二世界大戦で空襲を受けると、7つの城が焼失、さらに失火で1つの城を失います。
つまり、現時点で現存する天守は12のみ。具体的には弘前城、松本城、犬山城、丸岡城(注2)、彦根城、姫路城、松江城、備中松山城、丸亀城、高知城、松山城、宇和島城だけです。
お城に訪れたら、目の前の天守閣が明治維新や第二次世界大戦よりも前の状態をとどめて現存しているのか、それとも戦後に再建されたのか、史料や史実とは関係なく天守閣が作られたのか。ざっと歴史を眺めるだけでも見方が変わってきます。
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