イギリスの世界遺産であり、河港都市の「グリニッジ」は天文台や海軍学校など、イギリスにとって非常に重要な施設が数多くあることでも知られています。
一方で私たち日本人にとっては、やはり「グリニッジ標準時」という、かつて国際的な基準時刻とされていたことの方が有名なのではないでしょうか。
またグリニッジは経度0度、つまり世界を西と東に分けている場所でもあり、こういった側面からも広く知られていますね。
今回はそんな河港都市・グリニッジの魅力について、この街が持つ歴史にも触つつご紹介していきたいと思います。
河港都市「グリニッジ」の歴史
グリニッジはロンドン中心部からもかなり近く、歴史的にロンドンの一部だったため、独自の歴史というのは近代に至るまで持ち合わせていませんでした。
ロンドンの港町として繁栄していたグリニッジが独自の知名度を得るようになったのは、大航海時代よりもかなり後のことです。
経度測定を重要視したチャールズ2世の存在
17世紀にイギリスの国王となったチャールズ2世は、経度の測定法を確立することの重要性をよく知っていたといわれています。
飛行機や鉄道が広く普及する以前の世界では、船舶が唯一の長距離交通手段でした。
目印のある陸地や、陸を目印として船のかじ取りを行えばよい沖合航海とは違い、遠洋航海では何も目印のない場所で、船の進路や現在地を把握しなければなりません。
そのためには、現時点での緯度、経度を割り出す方法が必要だったというわけです。
緯度、経度の測定法が確立される前の船乗りは、基本的には目的地と同じ緯度の地点を出発点として、あとは目的地に向かって同緯度を保って平行に進むという方法を取っていました。
しかしこのやり方では多くの船が同じ航路を取ってしまい、軍艦、商船、輸送船などさまざまな船で海が大渋滞、さらに海難事故が多発。
大渋滞するとはいっても、経度を求めて違うルートを使うことは非常に難しかったため、多くの船舶は渋滞を受け入れて運まかせの不便な航海を行うことに。
渋滞・事故がもたらす経済被害は当時でも深刻だったので、国王チャールズ2世は経度を求めるための技術を研究するように命じました。
この時に天文台が設置された場所が、グリニッジだったのです。
なぜ、グリニッジが天文台設置場所に選ばれたのか?
天文台設置場所にグリニッジが選ばれたのは、決して偶然ではありません。
当時、イギリス国王の宮殿が置かれていたというのも大きな理由のひとつですが、別の理由として、王立海軍兵学校のすぐそばにすることで、経度の研究成果がすぐに海軍の艦船運用に繋がるようにしたかったのではないかといわれています。
こうして経度測定のために天体運行の観測の一大拠点となった結果、グリニッジは以前にも増してその重要性が高まっていったのです。
経度0度地点であり、基準時刻がグリニッジになっているのも、この時に天文台が置かれたことが原因です。
現在ではこれらの歴史的背景などが評価され、「河港都市グリニッジ」として1997年に世界遺産へ登録されました。
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