「アーケード商店街」と聞くと、どのような風景を思い浮かべますか?大阪の「天神橋筋商店街」や「心斎橋筋商店街」、外国人観光客も多く訪れる京都の「錦市場」のように、お店が両サイドに立ち並んでいて屋根が覆いかぶさった商店街をパッとイメージするのではないでしょうか。
関東圏には、東京・品川の「戸越銀座商店街」や上野の「アメヤ横丁」などの商店街もありますが、屋根があって雨の日でもショッピングを楽しめるアーケード商店街は、京阪神を中心に各地へ広がりました。現在でも関西圏に数多く点在しています。
しかし、わたしたちの生活に身近でどこか懐かしいアーケード商店街は、老朽化や再開発、街の人口減少などの影響もあり、商店街自体が減少傾向にあります。今回はそんな人々とともに時代を歩んできたアーケード商店街の謎と歴史についてご紹介していきます。
全国に旅行する際には、各地にある商店街のアーケードに注目してみると、見え方に奥行きと深まりが生まれるかもしれませんね。
かつて商店街の活性化に繋がった「アーケード」
アーケード商店街といえば小売店が軒を連ねたメインの通りがあって、その頭上を屋根が覆っている姿を思い浮かべますよね。この屋根がある商店街を「全蓋(がい)式アーケード」といい、第二次世界大戦後、商店街の活性化にとって切り札のような存在になりました。
今では逆に体力の衰えた商店街の重荷にもなっているといいます。その意味で商店街とは切っても切れない存在のような印象もありますが、このアーケードには素朴な疑問としてどのような歴史があるのでしょうか。調査してみると、どうやらアーケード商店街の歴史は江戸時代から始まるそう。