江戸時代の日本人たちが世界をザワつかせた「人魚づくり」物語

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アメリカ人を仰天させた「フィジー人魚」

モナコ海洋博物館のフィジー人魚image by:Esik Sandor / Shutterstock.com

みなさんは「フィジー人魚」という言葉をどこかで聞いた経験がありますか?

英語で書くと、「Feejee Mermaid」。一説には「富士」から来ているともいわれていますが、フィジー沖で見つかったという人魚を見せ物に、1842(天保13)年、アメリカのニューヨークで、フィニアス・テイラー・バーナム(1810-1891)が『MERMAID EXHIBITION!!!』と宣伝を打ち、展示会を開きました。

バーナム氏といえば、数年前に大ヒットとなった映画『グレイテスト・ショーマン』のモデルともなった人物。そして、この目玉の展示品であるフィジー人魚もまさに、メイドインジャパンでした。

この人魚の持ち主は、ボストン博物館のオーナーになります。

1810年代に日本の漁民が制作し、そのクオリティに驚いたオランダの商人が購入して、アメリカ人の海軍関係者に大金の6,000米ドルで売りつけます。

諸々の問題があり、人魚を買ったアメリカ人の死後に息子の手に渡ります。その息子がボストン博物館のオーナーに売り、そのオーナーが仕掛け人のバーナム氏にリースして、イベントを仕掛けたのですね。

イベントは圧倒的な人気を博します。各紙もこぞって取り上げ、最大限の評価を与えます。孫引きになりますが、

しかし、メイドインジャパンの人造人魚は当時、世界中に輸出されており、そのなかのいくつかは現在でも世界の博物館に収容されているとの話。

そのうちのひとつが、江戸期を通じて日本と深い関係にあったオランダのライデン国立民族学博物館に展示されています。

ライデン国立民族学博物館image by:Goodness Shamrock / CC BY-SA

ライデンといえば、大学と博物館が世界的に有名です。日本人にもなじみ深い医学者・博物学者のシーボルトの博物館がある場所としても知られています。

シーボルトはオランダ商館の医師として来日し、日本に医術を教え、日本での研究成果を持ち帰り、『日本』『日本動物誌』『日本植物誌』などを書いた人。

この日本とも深いつながりのあるライデン国立民族学博物館が、フィジー人魚をCT(コンピューター断層撮影・装置)とX線検査で調べたところ、胴体と下半身が別々の生き物で、後から接着した証拠が確認できたのだとか。

要するに、ニセモノだったのです。恐らくアメリカでセンセーショナルな興行のネタになった人魚も、この手の作りものだと予想されます。

しかし、学者を含めて普通の人が情報の信ぴょう性を確かめる手段が、いま以上に限られていた時代には、人魚は「実在」していました。その存在の証明に、日本のモノづくりが一役買っていたのですね。

ジュゴンimage by:Shutterstock.com

そもそも人類が人魚を実在の生き物と考えるようになったきっかけは、ジュゴンマナティオオサンショウウオリュウグウノツカイイルカアザラシなどの生き物が誤解を与えたと考えられるそう。

例えば、西洋では陸と海に対応する生物が存在する(存在が連鎖する)と17世紀ごろまで当たり前に考えられていた背景もあり、15世紀から17世紀前半にかけて大航海時代にスペインやポルトガルの船乗りがジュゴン、マナティを見て、人魚が存在すると陸地で伝えていた説も。

また、日本では先ほども書いたように、リュウグウノツカイが有力な説のひとつとして考えられています。確かにいま見ても、深海魚のリュウグウノツカイは何か普通ではない生き物の存在感を持っています。

現代のように真偽を確かめる技術を持っていなかった時代の人たちにとっては、そうした生き物が人魚的な存在に見えていても、不思議ではないかもしれませんね。

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