時代とともに変化してきた女性のファッション。かつて日本で和装が一般的だった時代には、自分の着物を自ら仕立てる人も少なくありませんでした。
そして文明開化とともに西洋のカルチャーを取り入れ、和装から洋装へと移り変わり、独自のスタイルを確立してきたのです。
今回は「日本人女性のファッションの変化」をテーマに、平安時代からモダンガール、そしてギャル文化や令和の新しいスタイルまで、ファッションの変遷を辿ります。
平安時代にもあったトレンドカラー、ファッションリーダーは吉原の高級遊女だった…そんな当時の流行に、現代のファッションに通ずる新たな発見があるかもしれませんよ。
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トレンドカラーを意識したファッション/平安時代
さっそく平安時代からチェックしていきましょう。平安時代の女性の服装といえば「十二単(じゅうにひとえ)」ですね。
正式には「唐衣裳装束(からぎぬもしょうぞく)」、または「女房装束(にょうぼうしょうぞく)」といい、衣を12枚着ているように見えるため十二単という俗称で呼ばれていたそうです。
小袖、長袴、単衣、五衣、打衣、表衣、唐衣、裳、物具装束といった多くの衣を着込むので、およそ20kgにも及ぶ重量になったのだとか。
十二単はいまでいうフォーマルウェアなので毎日着用するわけではありませんが、数時間着用するだけでもかなりの負荷がかかるため、まるでトレーニングのようですよね。
ちなみに普段は袴に単衣、袿のみと、唐衣や裳は着けずにリラックスした装いで過ごしたそうですよ。
現代はシーズンごとにトレンドカラーが決められ、各ブランドがキーワードを意識したコレクションを展開しています。それは平安時代も同じで「襲の色目(かさねのいろめ)」と呼ばれる、日本ならではの配色法で着物をコーディネートしていました。
四季折々の変化をその様相を色彩として感じ取る作法は、世界最古の配色便覧とも称される、日本が誇るべき色彩文化といえるでしょう。
軽めのフォーマルにシフト/鎌倉時代
鎌倉時代に入ると十二単も少し軽くなり、天皇の側近に仕えるとき以外は、唐衣や裳を省いた「袿袴(けいこ)姿」で過ごすようになります。
後期にはより簡略的な服装が求められ、白小袖に幅のせまい帯を締め、公家風の単と桂を重ねて着用していました。
一方、庶民の女性は小袖を身に着け、現代でいう巻きスカートのような「裳袴(もばかま)」を履くなど、上流武家の女性と比べてかなり簡素な装いをしていました。
そして時代は流れ、江戸時代のころになると、遊郭にいた高級遊女たちがファッションリーダーとして頭角を現しはじめます。