日本人で初めてエジプトのスフィンクスと記念撮影をした侍の旅

スフィンクス像前での池田使節団、1864年。


ナイル川を越えて、ロバでピラミッドを目指す

1847年のカイロ市地図image by:Public domain/Wikipedia

カイロから5kmほど行くと、馬車隊の行く手に、ナイル川が見えてきます。ナイル川を境に、東側がカイロ、西側がギザで、そのギザに『地球説略』にも掲載された、三大ピラミッドがあります。

現在のギザのピラミッドは、写真で見ると砂漠の中心に建っている印象を受けます。しかし、実際は撮影スポットから後ろを振り返ると(ピラミッドとは反対の方に目を向けると)、民家がピラミッドのすぐそばまで押し寄せるように発達していると分かります。ピラミッドが「がっかりスポット」といわれるひとつの理由ですよね。

しかし当時、カイロから見てナイル川の対岸は、広大な砂漠でした。そのころ、パリ留学の経験を持つイスマイル・パシャがエジプト王になり、カイロの近代化に着手をしていた時期です。そしてナイル川沿いに新しいカイロ市をつくり、ピラミッド街道もつくろうとしていましたが、ナイル川の対岸は、鈴木明『維新前夜』(小学館)によれば、まだ百戸余りが建ち並ぶ小さいまちがあるだけだったといいます。

さらにナイル川の東岸で馬車を降り、帆船に乗って400mほどの川幅を横断した先からは、10kmほどの道のりを徒歩、ないしはロバで移動しなければいけませんでした。要するに、ナイル川を渡った先は、馬車が走れない、ロバでしか歩めない砂漠が広がっていたと考えられます。

一行はロバに乗り換え、ピラミッドにアプローチします。「こんな石塚がなんだ」とシニカルにピラミッドを評価する人もいたようですが、若手を中心に好奇心とウキウキする気持ちが顔に出ていたそう。ほどなく一行はロバの背中から、見渡す限り地平線まで広がる砂漠の中に、ピラミッドを目撃します。

ピラミッドに到着するなり、侍たちはエジプト人の助けを得ながら、頂上に向かって上り始めました。その時、一行の中で最年少の一人である三宅復一という男が、次のような感想を抱いたと記録が残っています。

<日本にも、もっと高く、見晴らしのいい山は沢山ある。しかし、これは山ではない。人間が−どのような人間であったかわからないにせよ−とにかく同じ人類が作りあげた途方もない構築物なのである。それはまるで「人間は、こんなことまで出来るのだ」と、他の人間をあざ笑っているほど、想像を絶する巨大なものなのであった>(鈴木明『維新前夜』(小学館)より引用)

なかには、「昔の人はこんな商売にもならないことを、よくやるなあ」とおどけて見せたといいます。しかし結果として、令和の現代から考えてみれば、ピラミッドはエジプトの観光業を支える立派な商売道具になっているのですね。

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