日本人で初めてエジプトのスフィンクスと記念撮影をした侍の旅
スフィンクス前の記念写真を撮った写真家も実は有名人
次いで一行は、ピラミッドの内部を見学します。休憩を挟んで、今度はスフィンクスの前で記念撮影が行われました。その場で待ち構えていたカメラマンは、A・ピアトー。イタリア人写真家で、兄弟ともに歴史に名前を残す偉大な写真家です。
兄弟のフェリス・ピアトーは、世界史上初めて戦争写真を撮ったカメラマンとして知られています。しかも1863年の秋には、『ロンドン・ニュース』の特派員として日本に入り、欧米の四カ国連合軍の長州藩砲台攻撃軍に従軍し、戦場を撮影しています。
さらに鎌倉、富士山、箱根などの写真を撮り、写真新聞を発行して日本を世界に知らしめる役割を果たしました。
その兄弟であるA・ピアトーもまた、エジプトで日本の遣欧使節団をスフィンクスの前で撮影しました。翌年には写真集『スフィンクスとピラミッド』をロンドンで出版し、ヨーロッパに日本を知らしめます。
スフィンクス観光の様子については、遣欧使節団の団員がさまざまな形で手記を残しています。例えば杉浦愛蔵という人は、スフィンクスについて、
「石を彫りて作りし巨人の首あり。(中略)肩より以下は砂中に埋没して見えず。是、古昔何等の意を寄せしや、測り難し。四時過ぎ、帰寓せり」
と書いています。それにしても、笠をかぶり2本の刀を腰に下げた侍が、スフィンクスの前で立っている姿は、現代人にとってもすさまじいインパクトですよね。
しかし意外にも、当の侍たちには、この写真はあまり関心を持たれなかったのだとか。日本史上で初めてスフィンクスと撮影をした記念写真を、遣欧使節団の中で後に見た人は、たったひとりだけだとも知られています。
一団はこの観光の後、カイロを経ちヨーロッパへと向かいました。無事に帰国した時には、日本は激動の明治維新に突き進んでいました。
大変な使命を抱えながら日本とヨーロッパを往復し、帰国後も激動の時代に揉まれた人たちには、スフィンクスを日本人で初めて目撃するという快挙も、結局はひとつの小さな思い出に過ぎなかったのかもしれませんね。
- 参考
- 第1章 アフリカに渡った日本人 – 国立国会図書館
- 幕末の侍から スフィンクスの縁 子孫は今もカイロに「一族5代 エジプトに足跡」 – 東京新聞
- サムライが見たナイル川 – 独立行政法人 国際協力機構
- 鈴木明『維新前夜』(小学館)
- エジプト・アラブ共和国(Arab Republic of Egypt)基礎データ – 外務省
- image by:Antonio Beato, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で
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