凛とした空気に触れる。修行僧が暮らす禅の大本山、福井「永平寺」へ
全国の都道府県のなかでも、外国人の観光客が少ない都道府県があります。例えば北陸の福井県。しかし福井のなかでも、外国人を魅了してやまない観光地があるとを存じでしょうか。それが、曹洞宗の大本山、「永平寺」です。
この場所は本来であれば、観光地と表現していいのか少し考えてしまう部分があります。しかし近年、周辺の道を石畳に整備して案内表示を充実させたり、外国人旅行者を意識した宿泊所を作ったりと、観光需要にも備えを進めています。
そこで今回は、福井県の北部にある永平寺の魅力を紹介します。
外国人も憧れる禅寺の大本山
筆者は東京で生まれ埼玉で育ち、いまから10年ほど前に北陸の富山県に引っ越してきました。移住して間もなく、近所で知り合ったカナダ人から、「永平寺に行きたい、車がないので連れて行ってほしい」とお願いされたと記憶しています。
英会話教室に勤務するために日本に引っ越してきた彼は、来日前から禅に強く興味があり、福井県の永平寺に憧れていたのです。
当時の筆者は禅について、特に思い入れもありませんでした。お寺自体も名前を知らなかったため、正直あまり乗り気ではなかったと記憶しています。
しかし新しくできた友達との小旅行も悪くないと訪れてみると、友人が何を期待していたのかがよくわかりました。
現役の修行僧(雲水)が200人ほど生活をしながら座禅に励む道場として、どこか凛とした世界観を楽しませてくれる、福井きっての「観光地」だったのです。
どうして永平寺は、京都や奈良ではなく福井にあるの?
永平寺は、仏教の一派である曹洞宗の大本山です。開山のきっかけは、1220年に京都で生まれた道元という禅のマスター(禅師)の移住でした。
道元は幼くして両親を亡くし、いまでいう滋賀県の比叡山に入りました。しかし間もなく下山し、鎌倉新仏教の1つ、臨済宗を立ち上げた栄西の下に向かいます。
栄西が亡くなった後は、栄西の弟子を師匠と仰いで、一緒に中国(当時は宋)に向かいました。
5年間の修業を経て帰国した後は、京都で寺を作り、仏教の本質として座禅を訴え始めます。
しかし、政治的な戦いと権力闘争に明け暮れる奈良や京都の旧仏教から敵視されるようになると、中国(宋)留学中に学んだ師匠の教えなどもあり都を離れ、土地の人の招きに応じて現在の山深く静かな谷に移ったのです。
770年以上の歴史があり、200人近くの修行僧が生活する永平寺
道元が福井(越前)に移り、永平寺の前身である大仏寺を開いた年は1244年(1246年に永平寺と改名)になります。
現在までに流れた時間は770年以上。エジプトのピラミッドなどと比べるとさすがにかすんでしまいますが、なかなか重みのある歴史の長さですよね。
明治時代に入ると、お寺の勢いが大きく傾いた時代もあったそうです。しかし、その後は完全に勢いを取り戻しました。2019年の現在では200人近い修行僧がお寺に暮らし、「御開山様」と呼ばれる道元の教えにのっとって、昔とほぼ変わらない形で厳しく修行に励んでいます。
その姿には何か神秘さというより、フィクションめいた違和感すら覚えてしまうほど、外の世界と隔絶された異質さがあります。
山門近くから参道にかけては、第5代の住職が植えた樹齢650年以上の杉の巨木も立ち並んでいます。
「夜鳴き杉」と修行僧の間で呼ばれ、幽霊物語が伝えられているこの大きな杉は、圧倒的な生命力と荘厳さをもって、見る者に何事かを訴えてくるはず。
お寺を取り巻く森や谷の自然、200人近くの修行僧の存在、さらには修行僧の生活の場にもなるお寺の建築物が、先ほど紹介したカナダ人など外国人を大いに感動させる、独自の世界観を作り上げているのです。