「お参りなんかいらんねん。受験は運じゃない。そんなん行ってる暇あったら、1個でも2個でも英単語覚えたいねん!」
京都の受験の神様として有名な北野天満宮へ合格祈願に行こうと誘ってくれた母に対して、あの日の私が放った言葉でした。
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大学受験に疲弊した私が、母と交わしたあの日の言葉
2月。高校3年生だった私は、大学受験を控えとにかくピリピリモード全開。信じられるのは、勉強机に向かっているときの自分だけ。というのも、模擬試験の結果は受験直前のタイミングでも私の志望校は「E判定」。つまり、合格圏外。
「何もこの学部にこだわらなくてもいいじゃないか」
「同じ大学で、違う学部だったら余裕で合格できるんだから」
先生との個別面談では、何度もそういわれていました。わかっている。そんなことはわかっているけど、どうしてもこの大学、この学部に行きたかった。
負けず嫌いな私は、先生たちに「諦めろ」と言われれば言われるほど、余計に執着するようになっていくのです。あまりに私が譲らないので、担任ではなく進路指導主任に呼び出されたこともあります。それでも私は「志望校は変えません」の一点張り。…本当に、かわいくない生徒です。
志望校は変えない、でも偏差値は上がらない。赤本をやってみても、合格最低点にも遠く及ばない。でもやっぱり、諦めることはしたくない。
追い込まれた状況で、17歳やそこらの少女が正常な精神でいられる訳がありません。そんなときに母から北野天満宮へ「合格祈願に行こう」という誘い。きっと、「息抜きをしたらどう?」という思いやりの詰まった提案だったのでしょう。
でも私は、そんな思いやりには気づけませんでした。自分のことでいっぱいいっぱいだったのに、自分以外の人、ましてや誰よりも心を許している母親です。私のことを理解してくれていないのか?そんな自己中心的な憤りも、心の中にありました。
「お参りなんかいらんねん。受験は運じゃない。そんなん行ってる暇あったら、1個でも2個でも英単語覚えたいねん!」
こんな言葉を吐き捨てて、2階にある自分の勉強部屋へ駆け上がってしまったのです。そのとき、母がどんな顔をしていたのかは、わかりません。想像しようともしなかったのですから。いま振り返ってみると、胸が痛みます。ごめんねって。