子どもから大人まで、多くの人が夢中になった『鬼滅の刃』(著・吾峠呼世晴/集英社)。原作の漫画からスタートしアニメ化され、『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』は歴代映画興行収入1位を更新。
2021年12月5日からは「遊郭(ゆうかく)編」のアニメが始まり、まもなく最終回を迎えます。ただ、実際問題として「遊郭」とはどういった場所なのか、きっと正確に伝えられる人は少ないのではないでしょうか。そこで今回は遊郭の歴史をまとめてみました。
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時の幕府や政府が公認した「遊郭」
遊郭とは、そもそもどういった場所だったのでしょうか。何となくイメージでいえば「風俗街」という人が多いかもしれません。そのざっくりとしたイメージがあるために、「子どもに説明しにくい」という声も出てくるのだと思いますが、実際はどうなのでしょう。
まず、辞書を調べてみました。岩波書店『広辞苑』を調べると、以下の記載があります。
<多数の遊女が屋が集まっている一定の地域。>(『広辞苑』より引用)
あらためて「遊女」を『広辞苑』を調べてみると、このような記載がありました。
<安土桃山時代以降、遊郭が公許されてからの公娼・私娼の称>(『広辞苑』より引用)
まず、この説明にある「遊郭が公許」という言葉が、遊郭を理解する上で大事になってきます。そもそも性的なサービスを提供する代わりに、金銭を受け取る遊女たちの仕事場は、古くから日本の各地に存在していました。
それこそ、遊女の記録が残っている最古の文献は『万葉集』にまでさかのぼります。万葉集の編さんは、奈良時代後期。ずっと昔から遊女は存在していました。
その遊女が働く場所が、いまでいう風俗街です。さらに風俗街のなかでも、時の幕府や政府が公認した場所を遊郭といいました。例えばその遊郭の代表が、東京の「吉原」です。
権力が公認した風俗街が吉原で、それ以外を「岡場所(おかばしょ)」と呼びます。岡場所とは、公認の遊郭の「外(ほか)」の場所という意味で、岡場所といわれたそうです。
東京(江戸)で遊郭は吉原の1カ所。岡場所は深川・こんにゃく島、築地などの水辺、品川、新宿などの宿場町、上野、根津などの門前町に、たくさんありました。
『鬼滅の刃 遊郭編』で出てくる遊郭とは、同じサービスを提供する場所のなかでも、岡場所ではなく、時の権力が公認した街を意味していたのです。