『鬼滅の刃』の「遊郭」は、実際にどんな街だったのか?その歴史をめぐる

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2022/02/13

江戸に生まれた公認の遊女街が「吉原」

客待ちをする吉原遊廓の遊女。image by:おそらく日下部金兵衛(日下部金兵衛)(1841-1934), Public domain, via Wikimedia Commons

では遊郭は、いつからあるのでしょうか。安藤優一郎監修『色街文化と遊女の歴史』(KANZEN)を読むと、鎌倉時代に始まったと書かれています。鎌倉時代ですから、鎌倉幕府公認ということですね。

室町時代を経て、豊臣秀吉の時代になると、秀吉が大阪に遊郭をつくり、税金を徴収するようになります。徳川家康が江戸幕府を開くにあたって、この制度を江戸で引き継ぎ、後に絶頂を極めました。

もともと、江戸は徳川幕府がつくった新しい街です。まちづくりにあたって、大勢の労働力が動員されました。自然に男性が集まる、人口比のいびつな都市が生まれます。その不自然さに上方の遊女が目を付けたところから、江戸の夜のサービスは始まりました。

とはいえ、最初は野放し状態だったそう。風紀が乱れ、上方から続々と入ってくる遊女たちに手を焼いた幕府は、箱根以西に遊女を追放するなど荒療法で対処したのだとか。

その状況に注目した庄司甚内という人が、「江戸に公認の遊女街をつくりたい。遊郭をつくって、遊女と客を囲い、江戸の治安維持に一役買いたい」と申し出ます。幕府は江戸に唯一の遊郭を1617(元和3)年に公認、翌年に吉原が誕生したのです。

しかしながら、令和の現在に東京で暮らしている人には、ちょっとした疑問が生じるはずです。「吉原とは、一体どこにあったの?」という素朴な疑問があるのではないでしょうか。

最初にできた場所から、吉原は途中で移転しています。最初は日本橋人形町あたりで、その辺りを「元吉原」と呼びます。もともとその辺りは江戸のなかでも郊外だったそうですが、江戸がどんどん大きくなって、日本橋がまちなかの一部に組み込まれ始めると、風紀の乱れと治安の悪化が目立つようになったそう。

「遊郭はもっとまちの外れに」という声が生まれ、最終的に浅草の日本堤に移転させられました。いまでいえば、浅草寺の裏あたりです。この移転した吉原を「新吉原」と呼びます。土地の面積は約2万767坪。東京ドームと同じくらいの広さです。

遊郭は一般的に塀で囲われ、ほかの区域と隔絶されています。そもそも漢字辞典の『漢字源』(学研)で「郭」という字を調べると、「一区画をへいで取り巻いた遊里、外壁で囲んだ町」と、語源の説明があります。


吉原も一緒で、黒板塀で囲われ、一説には幅約9mの堀で囲われた難攻不落のエリアだったみたいです。

吉原の出入り口は1カ所。大きな門があり、門には番所がありました。遊女の逃亡を防ぎ、不審者を取り締まるためだったといわれています。

樋口一葉の代表作『たけくらべ』にも登場する「見返り柳」image by:photoAC

吉原には、遊女がおよそ3,000人ほど暮らしていたといいます。遊女は遊女屋に所属し、生活を経営者である楼主(ろうしゅ)徹底的に管理されます。

その理由は、遊女の生い立ちを知ると分かるかもしれません。遊女はもともと親に売られたり、地方で人買い業に買われて売られたりして、6歳~12歳で遊郭に来ます。要するに遊女は、人身売買で遊郭の経営者に買われた女性たちでした。

その子どもたちが15~16歳になると、大部屋に雑居しながら、お客を取り始めます。その後はスター街道を走る女性もいれば、そうでない人とさまざまですが、彼女たちはこの塀の外から一歩も出ないで人生の最も美しい時期を過ごすわけです。

もちろん、遊女も人です。お客と恋に落ちる場合もありました。しかし、最初から報われない恋です。行き場のない愛を求めて、心中未遂や逃亡する遊女もいたそうです。

しかし大抵は楼主に見付かり、容赦なく責められます。丸裸にされ縛り上げられて、梁(はり)へつり下げられたまま暴力を加えられます。時には殺されるといいます。その執行人は、楼主です。

遊郭のイメージとして、きらびやかな「花魁(おいらん)」などの美的なイメージもあります。しかし、その裏側では、過酷な現実が繰り広げられていたのですね。

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