文豪は「老人になっても、旅に出たいという気持ちはなくならない」と語った

image by:角谷剛

「漂泊の思ひやまず」

松尾芭蕉が『おくのほそ道』を旅したときは45歳になっていました。人生50年といわれていた時代ですから、もはや晩年と呼んでもいいでしょう。

実際、芭蕉はその旅の5年後にちょうど50歳で死去しています。生涯最後の句は「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」でした。

それから約3世紀が過ぎた1960年、アメリカ文学を代表する作家ジョン・スタインベックが数カ月かけて、アメリカを1周する旅に出ます。

『チャーリーとの旅』という本に記された旅です。そのときのスタインベックは58歳。芭蕉と同じように、その旅の8年後に68歳で亡くなりました。

※本記事は新型コロナウイルス感染拡大時のお出かけを推奨するものではありません。新型コロナウイルスの海外渡航・入国情報および各施設の公式情報を必ずご確認ください。

功成り名を遂げた文豪が探したもの

スタインベックの生家。現在はレストランとギフトショップが営業している。image by:角谷剛

『怒りの葡萄』、『二十日鼠と人間』、『エデンの東』など、スタインベックの代表作の多くは生まれ故郷のカリフォルニア州サリナス周辺が舞台になっていますが、本人はニューヨークに長く住み、イギリスやフランスで生活したこともあります。

十分な名声と経済的成功を収めた後、60歳を目前にして、スタインベックは急にアメリカを何カ月もかけて1周する旅をします。

それもベストセラー作家に相応しい快適で豪華な旅行ではありません。車中泊用に改造したトラックを自ら運転し、数日に1回シャワーを浴びるためにホテルに泊まるという過酷なものです。旅というよりは「放浪」と呼ぶに相応しいかもしれません。同行者は愛犬のプードル犬「チャーリー」だけでした。

アメリカ大陸を1周する自動車旅行はけっして前人未到の大冒険というわけではありませんが、大抵の人には、例え若者であっても十分にきつい旅です。


いい年をした大人がそんなにきつい旅をわざわざするのはなぜか。

ノーベル賞受賞時(1962年)image by:ノーベル財団, パブリックドメイン, via Wikimedia Commons

スタインベックはその問いを自らに問いかけ、そして旅をしたいという気持ちは病気のようなものだ、と『チャーリーとの旅』の冒頭で述べています。

子どものころに芽生えて、若者のころに発病して、大人になったら治まるといわれたが治まらない。もっと年齢を重ねたら治るといわれたが、老人になっても旅に出たいという気持ちはなくならない。それなら、もう仕方ないと開き直るしかないのだと。

だからスタインベックは改造したトラックを「ロシナンテ」と名付けます。ミゲル・デ・セルバンテス著『ドン・キホーテ』で主人公が乗る老馬の名前です。

アメリカを再発見する、ひとり旅

スタインベック博物館に展示されているロシナンテの実物大モデル。image by:角谷剛

スタインベックの旅はニューヨークから始まります。北上してメイン州に到り、そこからはアメリカ合衆国とカナダの国境近くを西へ西へと旅し、太平洋岸のオレゴンからは海岸線に沿って南下。生まれ故郷のカリフォルニア州中部のサリナスを訪れています。

そこで数日を過ごした後に、テキサス州を横切り、アメリカ最南部のニューオーリンズを経て、ニューヨークへ戻りました。その行程は1万マイル(約1万6,000km)近くに及んだということです。

スタインベックはこの旅をアメリカとアメリカ人を再発見するためだとも述べています。長い間アメリカ人についての小説を書いてきたにもかかわらず、ニューヨークに長く住んだ自分には、そのアメリカ人というものがよく分からなくなってきた。

なぜなら、ニューヨークはアメリカではない。少なくともパリがフランスであり、ロンドンがイギリスであるほどには、ニューヨークとアメリカを重ねることはできない、と書いています。

だからスタインベックはなるべく土地の人々と会話をしようと試みます。そのころからアメリカでも全国ネットのテレビの影響で、方言やアクセントが急速に失われ始めていることを嘆いてもいます。

しかし、見知らぬ人々との交流は思ったように上手くいかないことも多かったようです。レストランやガソリンスタンドなどで従業員らと短い会話をしたり、不愛想な獣医に腹を立てたりするような場面もありますが、基本的にスタインベックは孤独で単調な、いわばアンチドラマチックな旅を延々と続けます。

それも58歳というスタインベックの年齢を考えると、仕方のないことかもしれません。

若者が放浪するとカッコイイからいろいろな人が手を差し伸べてくれます。若いころに旅をして、見知らぬ人から食事を奢ってもらったり、家に泊めてもらったりした経験を持つ人は多いでしょう。

いくらひとりで旅をしていてとしても、若い人は若いというだけで人に好かれるので、本当の意味で孤独なわけではありません。

ところが中年以上の人が放浪すると、一歩間違えたら浮浪者のように怪しまれます。誰もあなたを助けてくれません。どんなときでも、自分ひとりの力でメシを食べ、寝場所を確保しなくてはいけません。本当に孤独なのはこちらです。

スタインベックはそのことをよく知っていたのではないでしょうか。寝起きできるだけの設備を車のなかに(それなりのカネと手間をかけて)用意し、大量の食料や本など、過剰なほどのモノを車に積み込んで、それでも足りずに犬を連れて旅に出たのは、避けようのない孤独に備えるためではなかったかと、同じように中年の私は想像します。

Page: 1 2

TRiP EDiTOR編集部 :TRiP EDiTORは、「旅と人生をもっと楽しく編集できる」をコンセプトに、旅のプロが語りつくす新しい旅行メディアです。