突然ですが「虫歯」はありますか?このところ、子どもたちの虫歯の数が急激に減っているとの話を聞きます。
逆をいえば、1980年代以前に育った大人たちの口の中には、虫歯、あるいは処置済みの虫歯があっても珍しくありません。その時代の子どもは、永久歯にある虫歯の本数が、いまの子どもたちと比べてかなり多かったからですね。
この虫歯の問題、もっと長い目で見たときに、人類はどのように戦ってきたのでしょうか。また、どのように虫歯を治療してきたのでしょうか。そこで今回は、虫歯と治療の歴史をまとめてみました。
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「文化の発展」とともに虫歯も深刻化
そもそも虫歯と一口にいっても、人類史で見ればいくつかの「波」が見られます。人間の祖先、アウストラロピテクスやネアンデルタール人、クロマニョン人の骨にも、虫歯や歯の欠損の跡が見られるといいますから、元をたどればずいぶんと長く人間の祖先と人間は歯のトラブルと戦ってきたとわかります。
ただ、本当の意味で虫歯が人類の「業」となった時期は、大きく分けて2つのタイミングがあるのだとか。基本的には、食生活の変化が虫歯と深い関係を持っていて、
- 農耕の発展と栽培作物の改良
- 砂糖の普及
が大きく影響しています。いわば、文明の発達の証しともいえるこの2つの変化によって「文明病」の虫歯が人類を苦しめ始めるのですね。
人類の長い歴史のなかで、虫歯は古くからあったといいましたが、その患者数がいよいよ目立ってきた時期は、紀元前2000年ごろから。世界各地の大河の下流で古代文明が起こり、王が誕生して、都市が成立していった時期です。
人間は狩猟・採集の生活を数百万年続け、最近の1万年ほどで農耕を始めました。文明の発達とともにその技術はどんどん発展し、栽培作物の改良も進むと、でんぷんの多い作物を日常的に人は口にし始めます。
その結果、食べかすとして歯の周りに残ったでんぷんの一部が分解され、糖質になり、その糖質が酸を生んで、より強力な虫歯の原因になりました。
紀元前2000~3000年ごろ、エジプト文明が栄えたナイル川流域のミイラの歯には黄金が詰められていたと確認されていて、義歯も見つかっています。
人類にとって虫歯が当たり前になってくると、歯の治療に対する考え方も進みます。チグリス川・ユーフラテス川の下流に栄えたバビロニアの『ハンムラビ法典』とエジプトの『エーベルス・パピルス』に、歯の治療方法についての記述が見られる時期も紀元前2000年ごろ。
紀元前1500年ごろにはエジプトに歯磨き剤が現れ、研磨剤として粘土や火打石の粉末が使われて、香料や甘みなども足されます。紀元前1~2世紀のローマ人の骨には、鉄製のインプラントもあったそう。
原始時代の後を受けて文明と階級が成立し、奴隷制を土台とする社会が生まれた時代を古代と呼びます。食生活の変化とともに虫歯が増え、同時に治療方法も確立されていった様子が分かります。