そろそろクリスマスがやってきます。さすがに、これほど定着すると「非宗教的なイベント」「アメリカから移入された信仰心抜きの商業主義的イベント」など、ネガティブな意見を言う人は少なくなってきたのではないでしょうか。
しかし素朴な疑問ですが、このクリスマスのイベント、どのように日本で浸透してきたのでしょう。明治維新の前後の時代、日本人はどのようにクリスマスを祝っていたのか気になりますよね。
今回は、関連書籍や論文などの情報をもとに、クリスマスの祝い方の歴史をまとめてみました。
文献に残る最古の「クリスマスパーティ」は470年前
キリスト教を日本に持ち込んだ人は、フランシスコ・ザビエルです。
薩摩(現在の鹿児島県)に彼が着いた時期は1549(天文18)年。その年に生まれた人が仮に今も生きていれば、473歳の計算になります。
ザビエルは数年日本に居たので、クリスマスを薩摩で祝ったと予想されますが、残念ながらその記録は見つかっていません。
では、「クリスマスパーティー」を最初に日本で開いた人は、記録上では誰になっているのでしょう。
1552(天文21)年、ザビエルが去った後の山口町(現在の山口県)で、”C・トルレス司祭がクリスマスパーティーを催した”と記録が残っています(孫引きの情報で恐縮ですが)。
その当時の領主は大内義隆。ザビエルの教えを受け、キリスト教を領内に広めた室町末期の武将で、文化上の功績が特に知られています。
その領主の公認で、クリスマスイブから司祭館に信者が泊まり込みで集まり「クリスマスパーティー」が開かれました。
もちろん今の時代の”パーティ”のノリではなく、信者は一晩中朗読を聞き、ミサ曲を聞き、福音書の読み上げを聞いて、説教を受けたとの話。いわば、ちゃんとした宗教的儀式だったわけです。
8年後の1560(永禄3)年には、九州の豊後府内(大分市)の教会で、日本人信徒による聖書劇がクリスマスに演じられています。このクリスマス劇の背景には、豊後府内に山口町から移住した上述のC・トルレス司祭の働きがあったと言います。
日本における初期のクリスマスパーティーの功労者はC・トルレス司祭なのですね。
他にも、戦国時代の1568(永禄11)年のクリスマスには、日本初のキリシタン大名・大村純忠(すみただ)が長崎県の大村市にある教会で宗教劇を公開しています。