なぜ海外で「チップ」が必要なのか?かつて日本にもあった心付け文化の世界史

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日本における「茶代」と「心付け」の違い

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一方で、冒頭でも触れた日本人の「茶代」や「心付け」のようなチップはどうしてなくなったのでしょうか。平凡社の百科事典『マイペディア』には、

<日本でも江戸時代以来,〈茶代〉として宿賃以外に心付けを置く習慣があった。昭和初年に宿泊料の10〜15%をサービス(奉仕)料として加算,心付けは廃止された>

と書かれています。この記述を見る限り、「茶代」と「心付け」が同一視されている印象を受けます。

しかしながら『立命館産業社会論集』に掲載された論文「旅行の近代化と「指導機関」-大正・昭和初期の雑誌『旅』から-」には、日本旅行倶楽部編『旅行讀本 改訂版』(旅行協会発行)という1940年の書物の記述が紹介されていて、「心付け」と「茶代」がそもそも異なる習慣だとされています。

「心付け」は、直接的にサービスを受けた相手(女中なり番頭なり)に対して感謝の気持ちを金銭で表す伝統的慣習です。一方で「茶代」は、この「心付け」とは別個に、旅館や飲食店に支払う金銭だとされています。

正規の料金に加えて、お店には「茶代」を、直接的にサービスを提供してくれたスタッフには「心付け」を払うイメージですね。

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しかし、「茶代」についてはそのあいまいさが、江戸・明治・大正を通じて、利用者を困らせてきました。少なすぎれば肩身が狭くなり、多すぎればばかばかしく感じるからですね。

そこで『万朝報(よろずちょうほう)』という明治から昭和にかけて発行されていた日刊新聞で論客として筆をふるっていた堺利彦氏が、「茶代」の廃止を訴え始めます。

当然、要不要の議論が各界で起きますが、最終的には昭和30年代に廃止の方向に決着を見せました。その根底には、任意といいながら実質的には強制で、しかもその行為によって、経済的階層が明らかになってしまう不愉快さがあったみたいですね。

この議論は現在、アメリカやカナダで起きているチップ廃止運動と通じる部分が大きい印象があります。一方の「心付け」については、現代でも日本に残っていて、冠婚葬祭の場面も例外ではありません。

もちろん日常的に発生するお金ではないですが、特別にお世話になった人には、感謝の気持ちをプラスアルファのお金で示したいという自然な感情は、誰にでもあるのではないでしょうか。

そう考えると、カナダやアメリカでチップ不要論の動きがなくならない背景には、北米のチップが「心付け」ではなく、「茶代」のような要素を強く含んでいるからかもしれないですね。

このような背景を踏まえて北米を旅すると、意味も分からず払っていたチップに、ちょっとした深みが感じられるかもしれませんね。

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