被爆3日後に運行再開。広島市民が「路面電車」を愛し続ける理由

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そのボディから歴史情緒が滲む広島の路面電車。車やバスと市街を並走する姿は、まさに現代と過去が心地よく共存する世界を作り出しています。その光景に一度は目を奪われた人も多いのではないでしょうか。

日々の発見から経営のヒントを探るメルマガ『日刊ライスレポート』では、なぜこの路面電車が広島になくてはならない存在なのか、気になるその理由をお話ししています。

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広島の歴史と路面電車

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JR広島駅ビルの大改装によって、広島電鉄が運営する路面電車が駅ビル2階に導引されました。以前はJR線と並行になるよう回り込んで駅前に敷かれていた線路が廃止され、JR線と直角に、駅ビルに突入する線路に付け替えられたのです。

広島市民の路面電車に対しての思い入れは、日本一、いや世界一だと思います。その想いがこのような大規模改修を可能にしたのではないでしょうか。そしてその原点は、原爆投下直後の路面電車運行再開、という歴史にあるのです。

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広島中心部に原爆が投下されたのが8月6日。原爆が投下されるまで路面電車は運行されていましたが、原爆ですべてがストップしました。それが再び動き始めたのが、わずか3日後の8月9日です。

爆心地から離れた廿日市変電所から送電ができたなどの奇跡的な要因がありますが、生き残った職員たちが、「何としても電車を動かしたい」と懸命に努力した結果なのです。

当時の運転士と車掌は少女だった!?

その中でも、運転士と車掌は少女たちだった、というエピソードが象徴的です。広島電鉄は出征した男性運転士の不足を補うために広島電鉄家政女学校という全寮制の学校を設立。10代の少女たちを電車運行の戦力としていたのです。花嫁修業学校のような校名ですが、一種の学徒動員機関だったです。


街が消え、絶望に包まれていた広島の人々にとって、がれきの中をガタゴトと走る電車の音は「街が生きている」という強烈なメッセージとなりました。乗客の中には、彼女たちの手を握って涙を流して喜ぶ人もいたそうです。

忘れない、風化させないための4つの伝承

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この復興のシンボルとして路面電車運行エピソードが、以下のように、広島の人々に深く伝承されています。

1. 被爆電車が今も運行されている

広島電鉄は今でも被爆した車両を大切にメンテナンスし、現役で運行しています。市民は日常の中で被爆電車だと認識し、乗車することでその歴史エピソードが自分ごとであることを実感します。

2. 原爆資料館での展示

原爆資料館では、焼け焦げた電車の部品や、当時の運行状況を示す資料が展示されています。

3. 学校教育において深く学ぶ

特に彼女たちと同年代の中高生は、「自分だったら、家族の安否もわからない中でハンドルを握れるか?」という問いかけを通じ、当時の人々の使命感や葛藤を自分ごととして考えます。

4. 演劇・メディア・書籍による物語化

実話をベースにした作品が多く作られており、特に若い世代への継承に大きな役割を果たしています。

広島市内の小学校では、平和学習の時間に『ヒロシマの電車のこえ』などの絵本が読み聞かせに使われています。


大規模工事の偉業が伝えていること

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この被爆一番電車のエピソードは歴史の一コマではなく、今も広島市民を勇気づけているのです。だから広島駅ビル2階への路面電車の乗り入れという偉業は、広島市民に大歓迎されるのだと思います。

広島駅ビルに吸い込まれていく電車には、最新の低床式連結車両もあれば、段差の大きな古い車両もあります。古い被爆車両が今でも走り続けていることが、広島ではとても重要なのだと思います。

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