つくばエクスプレス(TX)の快速で東京・秋葉原から30分あまり。茨城県守谷市には中高年の市民グループが中心となり、行政や地域住民、小中学生と連携しながら整備した、総延長約4㎞(接続市道も含む)にもおよぶ素晴らしい自然歩道があります。
近年人口が急増した中心市街地のすぐそばに、足かけ15年もかけて完成したこの手づくりの自然歩道は、まさに市民協働の結晶。奇跡のようにして誕生した「地域の宝物」です。
「未知草ニハチローのまちづくりのココロ訪問記」では今回、この「守谷野鳥の森散策路」と「鳥のみち」をリポートします!
駅前からすぐはじまる野鳥の森散策路
爽やかな天候に恵まれた5月中旬のある日、茨城県守谷市を訪ねました。守谷市には中高年の市民グループを中心に、行政や地域住民、小中学生などが連携・整備した、総延長約4㎞におよぶ自然歩道があります。
約2.5㎞(接続市道含む)の「守谷野鳥の森散策路」(5つのルートを接続市道が結ぶ。工事期間2001年~2014年)と、約1.5㎞の「鳥のみち」(工事期間2014年~2015年)です。2つの散策路は接続し、水際と湿原、雑木林を中心とした、変化に富んだコースを形成しています。
守谷野鳥の森散策路への入口は数か所あります。鉄道を利用して守谷を訪れる場合は、つくばエクスプレスおよび関東鉄道常総線・守谷駅から一つ目、南守谷駅(常総線)前から入るのが便利です。
駅から散策路の起点までは市街地を7~8分歩きます。取材に訪れた日には、木々の葉が風にすれ合う音に交じり、ウグイスの声がしきりに聴こえていました。畑地を抜け農道を横切れば、そこが守谷野鳥の森散策路に至る起点。木々のあいだに開けた細い道に足を踏み入れると、体感温度がスッと下がっていくのを実感できます。
山道に近い雑木林をしばらく歩くと、いよいよ守谷野鳥の森散策路の入口(愛宕南口)。ウグイスの声に導かれるまま進んでいくと視界が突然開け、風の渡る湿地帯に架けられたフローティングブリッジ(増水時などには浮く仕組みの橋)が現れました。
ここはもともと休耕田跡が湿地帯と化した場所で、工事以前は密生するアシにびっしり覆われていました。そこを人力でこつこつ切り開き、幅1.1m、長さ52mもの木製ブリッジと接続路を築いたのです。
設計・施工はすべて中高年世代の市民グループ(市民ボランティアで構成される守谷市観光協会の会員など)の手で行われ、作業には地元・愛宕中学校の生徒たちや市職員も随時参加しました。
守谷野鳥の森散策路はすべてそのような手順で、幅広い世代が仕事や学校の合間に手間暇をかけ、少しずつ整備されていきました。完成した時には、初期に50~60代で参加した大人たちは60~70代となり、小中学生たちは社会人になっていました(小中学生の維持・保全活動は、順次、在校生たちに引き継がれている)。
そのように長い歳月をかけ、整備された結果は写真の通りです。
長年放置されていた休耕田跡のドロ沼のようだった湿地が、まるで奥日光や尾瀬沼湿原の自然散策路を想わせるような、実に爽やかな風景へと昇華されました。
TX建設計画とともに人口急増した守谷市
TXの愛称で知られる「つくばエクスプレス」(旧称常磐新線)の快速電車で、東京・秋葉原から30分あまり。守谷市(守谷駅)へ至る現在の東京からのアクセスは、とても便利です。
2005(平成17)年のTX開業以前に、鉄道で東京から守谷へ向かうには、上野駅から常磐線で取手駅まで行き、関東鉄道常総線に乗り換え、守谷に向かうのが定番ルートでした。所要時間は最短で計約90分。それがいきなり乗り換えなしの30分あまりに短縮されたのですから、まさに劇的な変化です。
常磐自動車道などの高速交通網の急速な整備と併せ、交通アクセスの劇的な変化は守谷市の人口動態に大変動をもたらしました。例えばTX建設計画が発表されたのは、守谷市がまだ守谷町時代の1980年代初頭ですが(市制施行は2002年)、当時約1万7000人だった守谷の人口は、2005年のTX開業時には3倍以上(約5万3000人)に、2016年5月現在では4倍近く(約6万5000人)に増えています。
当然のことですが、TX建設計画は守谷を含む沿線の宅地開発とセットになっており、計画の進捗とともにTX開通を見越した宅地開発が、かなりの勢いで進められていったのです。
その間には大規模な緑地開発がされていったはずです。しかし、当初から緑豊かな住宅都市として、綿密に都市計画がなされていたお蔭もあり、守谷市の市街地全域の平均緑被率は今も60%台を維持しています。
緑被率は土地の面積に森林・草地・農地・水面などが占める比率です。例えば東京23区で最も農業が盛んで緑被率の高い練馬区でも25.4%(2015年度)です。人口が近年急増したのに60%台の緑被率を保つ守谷市には、今もいかに多くの緑地(森林、農地、草地、水辺など)が遺されているかがわかります。
ちなみに東京では高尾山を擁して外国人にも大人気の八王子市の緑被率が、守谷市と同レベルの61%。また英国ロンドン郊外には20世紀初頭にガーデン・シティとして計画的に建設された、レッチワース、ウェリン・ガーデン・シティなどの緑濃い街々が点在しており、その緑被率も60%前後とされています。
緑被率といっても樹林ばかりではアンバランスです。田畑ばかり湿地帯ばかりでも同様です。その点、守谷は太古の昔から流れていた小貝川や、江戸時代に流れを付け替えられた鬼怒川や利根川などの大河に囲まれています。
近世以降は豊富な水を使った醤油や酒などの醸造業、水運を活用して物資を集散する商業地として繁栄する一方、水資源に恵まれた農業地帯としても大きく発展した歴史があります。
市街地(商業地・住宅地)と河川や樹林地、水田などが形成する里山(農村)がバランスよく展開する現在の風景は、その当時に培われた地域資源の遺産の上に成立しているともいえます。
しかし「緑地は油断をしていたらどんどん失われていくもの」という厳然たる事実は、昭和30年代前半にのどかな田園地帯だった練馬区や、かつてはやはり緑被率の高かった横浜市(2014年度・緑被率28%)などの現況が雄弁に物語っています。
守谷野鳥の森散策路、鳥のみちの整備に至る、そもそもの出発点も、実はこの「緑は油断をすれば失われるもの」ということについて一部の住民たちが抱いた、強い危機意識にありました。